平成27年10月25日(日)  目次へ  前回に戻る

「ガンバルおー」「にゃーす()

昨夜は木枯らしが吹いたらしく、今日は寒くなりまちた。今日はおいら、腎冷童子が更新いたちまちゅ。ああ、それにしてもこの寒空に、肝冷斎たちはどうやって露命をつないでいるのでありましょうかねえ。

・・・・・・・・・・・・・・・

唐の李宣古、字・垂後は澧陽のひと、晩唐の会昌三年(843)の進士で、後に博学宏詞科の試験にも合格した。

工文、極俊、有詩名。

文に工(たく)みして極めて俊、詩名有り。

文章を作るのが上手で、非常にすぐれており、詩人としても有名であった。

しかし、

性謔浪、多所譏誚。

性諧浪にして、多く譏誚するところとなる。

性格がおふざけが過ぎていて、あちこちで批判されることが多かった。

ところでこのときの宣陽の令(長官)は杜悰というひとで、文学に理解があったが、皇帝の姉妹に当たる長林公主を娶っておられた。

李宣古は、上司である杜悰の宴席にしばしば連なったが、いつも酒たけなわになると杜悰をからかうようなことを言いだす。特に公主との生活についてまでからかい始める始末で、

悰不能忍忿其戯己。

悰、その己に戯るるに忿(いか)りを忍ぶあたわず。

杜悰は、いじられるのに頭に来て、ある日ついに爆発したのであった。

「いい加減にしろ!」

と怒鳴り、李宣古を

使臥泥中、衣冠顛倒。

泥中に臥せしめ、衣冠顛倒せしむ。

泥の中に引きずり倒し、衣やカンムリが体の下になるように転がしてやった。

李宣古は立ち上がろうとしても、ずるずると滑って立ち上がれない。

これを御簾の中から見ていた長林公主、杜悰に云う、

尚書、独不念諸郎学文、待士如此。

尚書、ひとり諸郎の文を学ぶを念わずして、士を待つことかくのごときか。

「あなた、コドモたちが勉強しなければならない、ということをあなただけがお忘れになっているんじゃなくって? 名高い読書人の李宣古さんにこんなふうに処遇しているのをコドモたちが見たら「勉強なんかしたってエラくなれないんだ」と思ってしまいますわよ!」

「むむ」

公主さまには頭の上がらぬ杜悰は黙り込まざるを得なかったのだそうでございまちゅ。

この間に公主さまは、

遣人扶起、更以新服、赴中座、使宣古賦詩。

人を遣わして扶起せしめ、更(か)うるに新服を以てし、中座に赴かしめて、宣古をして詩を賦せしむ。

ひとに命じて泥の中に転がっている李宣古を助け起こさせ、新しい服に着替えさせて再び宴会に出席させ、そこで詩を発表することにさせてやった。

そこで李宣古の曰く、

紅鐙初上月輪高、 紅鐙初めて上りて月輪高く、

照見堂前万朶桃。 照らし見わす、堂前万朶の桃。

紅色のあぶみのようなようやく昇ってきた月の、その光がさしこむので、

宴会場の前の一万本の枝にたわわな桃の花が、ぴかぴかと光っておりまする。

で始まる景気のいい律詩を吟じたので、杜悰も大いに機嫌を直した、ということである。

おかげでかどうか、杜悰のふたりの息子(杜裔休と杜儒休)は学問に精を出し、後に二人とも科挙試験に及第したが、李宣古の方は

竟薄命無印綬之誉、落莫自終。

ついに薄命にして印綬の誉無く、落莫して自から終われり。

とうとう好運にめぐまれず、高官の帯びるハンコやそれをぶら下げるための紐を授けられる名誉に預からなかった(←要するに出世しなかった)。後に落剝して、なんとなく消え去って行ったのだった。

そうである。そんなハンコや紐、要りませんけどね。

・・・・・・・・・・・・・

元・辛文房「唐才子伝」巻七より。

さて、寒くなってくると、体が冬眠を求めるのか、どんどん肥ってまいります。この二日でほんとに体重数キロ単位で増え、動きもだいぶん鈍くなってきた。今なら泥の中に引きずり倒されたら、ひとの助けがなければ立ち上がることができないかも知れないぐらいの肉体である(←え? コドモなのに?)。もちろん精神的には以前から立ち直ろうなどとはしていないわけだが(←ほんとにこいつ、コドモなのか?)。

 

次へ