平成27年6月10日(水)  目次へ  前回に戻る

もうあの日々が帰ることはないのだ。ぶう。

今日はまだ水曜日。心が荒んで来ているぜ。こんな日は詩(ぽえむ)でも読んで、心を潤おさなければならないぜ。

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宋が滅びました。

それから、付き合いのあった詩人の劉中庵が死にました。

それからまた何年かして、中庵の屋敷の跡に来てみた。

・・・東の方から小舟に乗って橋のたもとで降りた。

尚記当日、緑陰門掩。

なお記す、当日、緑陰の門掩せるを。

たしかに覚えている。あの夏の日には木々の葉が陰を作って、門のようにこのあたりを覆っていたのだった。

屐歯苺苔、酒痕羅袖事何限。

屐歯の苺苔、酒痕の羅袖、事何に限らん。

ゲタの下にはコケ、うす衣の袖には昨夜の酒をこぼした痕。いろんなことがあった。

欲尋前迹、空惆悵成秋苑。自約賞花人、別後総風流雲散。

前迹を尋ねんとすれば、むなしく惆悵して秋苑を成す。賞花の人に約せるより、別後すべて風流れ、雲散じたり。

むかしの跡かたを探してみると、むなしい気持ちで悲しくなり、そのせいで(思い出の時は夏だったが、現実に戻って、目の前は)秋の園になってしまった。ともに花を愛でたひとと、将来のことを約束しあったのだが、別れてしまった。(あの日々は)風となって流れ去り、雲となって散りぢりに消えて、あとかたも無い。

・・・・・屋敷あとをひとりさまよっていると、遠く水の音が聞こえる。わたしは崩れのこった二階屋の上に昇り、はるかな山なみを眺めた。

水遠、怎如流水外、卻是乱山尤遠。

水遠けれども、いかならむか流水の外、かえってこれ、乱山もっとも遠し。

水の音も遠くに聞こえるけれど、あの流れの外、高く低く見える山々の方が実ははるかに遠いのだ。

天涯夢短、想忘了綺疏雕檻。

天涯の夢短く、想い忘れたり、綺疏の雕檻にあるを。

空のはてを夢見ていた時間はそれほど長くは無かったが、その間、きれいに彫刻を施したまばらなおばしまに倚っていたことなんか忘れてしまっていた。

望不尽冉冉斜陽、撫喬木年華将晩。但数点紅英、猶識西園凄婉。

望み尽きざるに冉冉として斜陽し、喬木の年華のまさに晩れなんとするを撫す。ただ数点の紅英のみ、なお西園の凄婉を識(しる)せり。

いつまでも眺めていたいのだが、だんだんと陽も傾き始めた。庭の木々の今年咲いた花に触れてみるが、この花の季節ももう終わりに近づいているようだ。ただ、いくつか、赤い花が咲いていて、あのころの劉家の屋敷の西の庭の、息を呑むようなあでやかさを思いだせてくれた。

おれの青春も、いくつかの思い出だけを残して、もう終わりなのだ・・・。

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元初のひと、王沂孫「長亭怨慢・重過中庵故園」(「あずまやで、ゆっくりとあなたのことを」の節で作った、ふたたび昔の中庵の館の庭を訪れるの歌詞)。ちなみに、「水遠けれども・・・」以下の後半部分は、後世、

一片神行、筆墨到此倶化。

一片の神行、筆墨ここにともに化するに到れり。

神霊が通り過ぎたあとが、ひとかけらの詩篇になったようなもので、筆と墨が混ざり合って、こんな世界を生み出したのだ。

と絶賛される。

みなさんも絶賛してみてください。なんとなくわかったような気になってきますよ。

王沂孫(おう・きそん)は字・聖興、碧山あるいは中仙、あるいは玉笥山人と号した。浙江・会稽のひと。元・世宗の至元年間(1264〜1294)に地方の学官に就いたことがあるという。

 

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