平成27年5月19日(火)  目次へ  前回に戻る

どうせ誰もキミのシゴトに期待していないんだから、せめてマジメにぐらいやるといいゾウ。

本当に才能ありません。努力もしないんだから、すぐ行き詰まる。

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五代のころ、進士になった謝諤という人は、南康の生まれであったが、

舎前有溪、常遊戯之所也。

舎前に溪ありて、常に遊戯のところなり。

家の前に谷川が流れていて、幼いころはいつもそこで遊んでいた。

そんなある晩、

夢浴溪中、有人以珠一器遺之、曰、郎呑此。

夢に溪に浴する中に、人有り、珠一器を以てこれに遺りて曰く、「郎、これを呑め」と。

夢の中で、谷川で水遊びをしていると、知らない人がやってきて、器に入った珠をくれて、

「ぼうや、これを呑み込みなさい」

と言うのであった。

「むむむ? これをでちゅか?」

謝諤はカシコい子だったので、

度其大者不可呑、即呑細者六十余顆。

その大なるものは呑むべからざるを度(はか)り、すなわち細かなるもの六十余顆を呑む。

その中の大きいのは「ちょっと呑み込めませんね」と推しはかり、小さいものばかり六十いくつを呑み込んだのであった。

「ああ、大きい方は呑まないのか。学問は大成しないようじゃなあ」

という声が聞こえて、目が覚めた。

及長、善為詩。

長ずるに及んで、善く詩を為す。

大人になると、いっぱしの詩人になった。

それ以外には特段の名を得るところは無かったが、亡くなった後、友人の裴説がその遺稿を整理し、

選其善者六十余篇、行於世。

その善なるもの六十余篇を選び、世に行われたり。

その中から佳作六十数篇を選んで刊行した。そこそこ世間では評判になった。

のでございます。

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「稽神録」より(「太平廣記」巻278所収)。

おいらは小さいのももらってないんで、どうしようも無いんです。ああ、珠なんかもらえなくてもいいんで、もう一度コドモに戻りたいなあ・・・と、いけね、おいらコドモなんでちた。

 

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