平成27年5月15日(金)  目次へ  前回に戻る

小せえ、小せえぜよ。

今日もシゴト驚異的に辛かった。とりあえず一週間は終了。来週もツラいらしい。どうなることやら・・・。OCNさん連絡とってくれてありがたかったが、ホントに忙しくて電話切っちゃってすんません。

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今日もシゴトでは「しちゃいけない」ような失敗を数個はした。気づいていないのもあると思う。

そこで今日は「三莫為」(三つの「しちゃいけない」こと)を学ぶことといたしまーちゅ。

莫為嬰児之態、而有大人之器。

嬰児の態を為すなかれ。而して大人(たいじん)の器を有(も)て。

何も知らぬ子どものように振る舞ってはいけない。そうではなくて、成熟したひとのあるべき形を持たねばならぬ。

これはムリ。自他ともに認めらるるコドモ人間のおいらがこれをするのは、ほとんど語義矛盾。

莫為一身之謀、而有天下之志。

一身の謀を為すなかれ。而して天下の志を有て。

自分だけのことを考えてはいけない。そうではなくて、天下のためにしよう、という意志を持たねばならぬ。

これもムリ。おいらは、自分のこと、でさえ考えられない無考えの短絡モノである(今週のシゴトの中で何度も証明された)。為すなかれ、のもっと前段階のレベルなのである。

莫為終身之計、而有後世之慮。

終身の計を為すなかれ。而して後世の慮を有て。

老後の安定を考えて行動していてはいけない。そうではなくて、自分が死んだあとの未来にどんな影響を与えてしまうかを考えて行動せねばならぬ。

はあ。何しろ目先のことさえ考えてないので、老後やら未来やらのことなど考えるはずありません。もっと前段階の原始的なレベル。

ああ、おいらはもうどうしようも無いダメ人間なのでちゅねー。落ち込んでまいりまちた。止めてくれないとチんじゃうかも。

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宋の謝上蔡のコトバなんだそうです。「なんだそうです」と自信が無いのは、本朝・春日潜庵「潜庵先生遺文」からの孫引きのタメ。

潜庵・春日仲好は文化八年(1811)京都に生まる。大塩中斎、佐藤一斎、森田節斎、池田草庵らと往来した幕末の陽明学者にして、勤王公家・久我通久の執政として、橋本左内、西郷隆盛、横井小楠、桂小五郎らと連絡して文久・元治・慶應・明治年間の政変を演出し、

維新宏謨の張子房(明治維新のおおいなるはかりごとの中で、漢の高祖を助けた張良のようにその基本方針を策定した戦略家)

と称せらる。

大河ドラマ(笑)にあんまり出てこないからあまり知っているひとはいないだけで、知っているひとはみんな知っている「志士」の一人である。新日本を構築すべき維新後の時代に入ると、どうやらそういう時代に活躍できるタイプではなかったらしく、短期間奈良県知事を勤めたほか西郷一派と連携して策動しておりましたが西南役も終わり明治十一年(1878)卒。

たとえば「潜庵先生遺文」では

天極高、地至大。而人之心如此廣矣。然逼窄狭隘不得其本然者、縛於一身之小耳。

天極めて高く、地は至りて大なり。しかして人の心はかくの如く廣なり。しかるに逼窄し狭隘にしてその本然を得ざるものは、一身の小に縛らるるのみなり。

天は非常に高い。大地は非常にでかい。そして、(天・地・人と並び称される)人の心もまた、同様に広大なものなのである。それなのに、ぺしゃんこにすぼまり、狭く通りづらくなって、その本来の在り方から離れてしまっているのは、ただ自分自身という小さなものに拘っているからである。

と言っておられます。

これを「ゲンダイ幕末志士語」に翻訳すると、

はっはっは、おまえさん、そりゃ小せえ、小せえぜよ。

というておられるんですわ。

 

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