平成27年2月28日(土)  目次へ  前回に戻る

「むかしのことを言われましても・・・」

明日は日曜日。月曜日の前日。Ah〜

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昨日に続きまして、漢・司馬相如「琴歌」第二首をご紹介しておきましょう。第二の方は第一への返し歌のかたちになっていて、「おんなうた」でございますから、ここは姐さんに歌ってもらいます。

「あたいが? これはまた突然ね」

姐さんは突然の指名にもさすがに長い芸歴だ、慌ても騒ぎもせずに琵琶の調べを調えて、べん、べん、と歌いはじめた。

鳳兮鳳兮従我栖、 鳳よ鳳よ、我に従いて栖み、

得託孳尾永為妃。 孳尾(しび)を託し得て永く妃と為らん。

交情通体心和諧、 情を交え体を通じ心和諧し、

中夜相従知者誰。 中夜に相従わん、知る者は誰ぞ。

双翼倶起翻高飛。 双翼ともに起きて翻りて高飛せん。

無感我思使余悲。 我が思いに感ずる無くんば余(われ)をして悲しましむ。

 おおとりよ、おおとりよ、あたしのそばでお休みよ。

 楽しいことして、いとしい子を得て、ずっと仲良く暮らそうよ。

気持ちも一緒に、体を合せ、こころとろけて、

夜更けにはあなたと離れない。誰にも知られないように。

二つの翼を振るわせて風に乗って高く飛ぼうよ。

Ah〜、この気持ち、わかってくんなきゃ、あたしツラすぎる。

べん。べん。

「これでいいかしら?」

「ありがとうございましたあ! 姐さんに、いまいちど大きな拍手を!」

「孳尾」(しび)について。

「尚書」(いわゆる「書経」)の堯典にいう、

鳥獣孳尾。

鳥獣、孳尾す。

(聖天子の御代には)鳥やケモノも孳尾する。

と。

注にいう、

乳化曰孳、交接曰尾。

乳化を「孳」といい、交接を「尾」という。

(古代の言い方では)コドモに乳を与えて育てることを「孳」(し)といい、雌雄が接して交わることを「尾」(び)と言ったのである。

なので、オトコとオンナで、へへへ、ヤリまして、コドモが出来てそれを育てて殖える、というのが「孳尾」

・・・というような、妖艶、といいますか、かなり直截的なエッチ歌だったんですねー。

「こんなエッチ歌で娘をたぶらかしおって!」

と卓王孫の憤激するのもムベなるかな。

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昨日に引き続き「楽府詩集」巻六十より。「漢詩」のイメージ、少しは変わりました?

さて―――。

それから九百年ぐらい経て、八世紀の半ばごろに、「司馬相如が卓文君を誘惑する琴を弾いたところだ」という伝説の地を、痩せこけた初老のオトコが訪れました。荒れ果てた光景を望んで、歌いて曰く、

野花留宝靨、 野花は宝靨(ほうよう)を留め、

蔓草見羅裙。 蔓草は羅裙かと見る。

帰鳳求凰意、 帰りし鳳の凰を求むるの意、

寥寥不復聞。 寥寥(りょうりょう)としてまた聞かず。

 野の花には(文君の)宝石のように愛らしいエクボの面影が残り、

 つるをなしてまとわりつく草は(彼女の翻した)うす衣のスカートのようだ。

 けれど、世界を旅して帰ってきたおおとりが、そのつがいに愛を求めた歌は

 さびしいね、さびしいね、もう今は聞こえない。

唐・杜甫「琴台」詩より。

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おいらも若いころは「凰」を求めていた? ほんとにそんな時代あったかな? そのころおいらが口ずさんだ(ような)、直截的エッチ歌を一首。

自らを瀆してきたる手でまわす顕微鏡下に花粉はわかし

もちろん自作ではありません。寺山修司先生の。

明日は三月だなあ。

 

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