平成27年1月27日(火)  目次へ  前回に戻る

なにを食っているのか?

まだ火曜日。まだ今週は半分も終わっていない。どうすんの。

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晋の太元年間(376〜396)のことでございます。

義興のひと周客には一女あり、

年十八九、端麗潔白、尤弁恵、性嗜膾、噉之恒苦不足。

年十八九、端麗にして潔白、もっとも弁恵、性として膾(カイ)を嗜み、これを噉らうにつねに不足に苦しむ。

年は十八か九の娘盛り、顔つきは整い、ぬけるような色白、知恵が回わって、申し分無い美女であった。ただし、生魚の刺身が大好きで、どれだけ食べても飽き足らないので困っていた。

許纂なる者、学問好きのマジメな男であったが、家柄も釣り合うというのでこの周客の娘を嫁にもらった。

ところがこの女、

到婿家、食膾如故、家為之貧。

婿家に到るも膾を食らうこともとの如く、家これがために貧なり。

嫁入りしてきても生魚好きはそのままで、夫の家はこのために貧乏になってしまったのである。

「どうするのだ?」

親類が集まって相談した。

目をみはるような美しい嫁だが、その唇で生の魚を飽くことなく食らうのだ。結論として、

恐此婦非人。

恐るらくはこの婦、非人ならん。

どうもあのヨメはニンゲンではないのではないか。

ということになり、実家に戻すこととなった。

この女が実家に帰らされる途中、

乗車至橋南、見罟家取魚作鮓著案上、可有十許斛。

乗車して橋南に至り、罟家(こか)の魚を取りて鮓と作して案上に著くるを見るに、十許斛あるべし。

馬車に乗って橋の南まで来たとき、網漁の家で獲った魚を発酵させて「なれずし」にしたのをテーブルの上に並べているのが目に入ったが、その量は200リットルぐらいあった。

三国のころの一斛=十斗、一斗は2リットル前後、で換算しました。

女は、車の中から銭を一貫出して、この「なれずし」の代金として漁家に与えた。また、薬味のニラをすりつぶさせ、車から降りて食べ始めたのであった。

むしゃむしゃとすごい勢いでむさぼり食う。紅い唇を動かして、たちまち

熟食五斗、生食五斗。

五斗を熟食し、五斗を生食せり。

煮て約10リットル食ったかと思うと、生で10リットル食った。

それでも足らないらしく、なお食い続ける。

どんどん食って、

当噉五斛許、便極悶臥。

まさに五斛ばかりを噉(くら)わんとするに、すなわち極めて悶臥す。

ちょうど100リットルぐらい食ったあたりで、突然腹を押さえて苦しみ出した。

美しい顔をゆがめて「あいや、腹痛いー」と呻いていたが、

須臾、拠地大吐水。

須臾、地に拠りて大いに水を吐く。

しばらくすると、地面に、液体状のものを大いに嘔吐した。

たいへん苦しんだ末に、その美しいくちびるから、

忽有一蟾蜍、従吐而出。

たちまち一蟾蜍(せんよ)有り、吐くにしたがいて出づ。

にゅるん、ととつぜん、一匹の大きなヒキガエルを吐き出した。

「うわー、でかい、これどうするんだ?」

と回りのひとが驚いているうちにヒキガエルは「どぼん」と川に入り込んで、逃げて行ってしまったのである。

ところがその後、女は

遂絶不復噉、病亦癒。

遂に絶してまた噉(くら)わず、病また癒ゆ。

もう二度と生魚を食おうとはせず、腹痛も治ったのであった。

めでたし、めでたし。

ところで、

時天下大兵。

時に天下大兵なり。

このころ、天下には大いに兵乱が起こっていた。

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唐・闕名氏「廣古今五行記」「太平廣記」巻473所収)より。

がんばって週末まで生き抜いたら、すしでも食いたくなってまいりましたなあ。しかしあと三日も生き抜けないよなあ・・・。

 

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