平成26年6月23日(月)  目次へ  前回に戻る

 

本日は人間ドックなるものに行っておりました。人間、長寿を求めたとして何歳ぐらいまで生きられるものか。

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五代の時代の四川地方には、まず王氏の前蜀(908〜925)、その後、孟氏の後蜀(934〜965)という国が存在しましたが、この前蜀に仕えていたという陳損之というひと、後蜀の時代になっても元気で、

年已百歳、妻亦九十余、当時朝士家有婚娉筵会、必請老夫婦、以乞年寿為名。

年すでに百歳、妻また九十余、当時の朝士、家に婚娉の筵会有れば必ず老夫婦を請い、以て年寿を乞いて名と為せり。

年齢はもうとうに百歳を越えており、夫人もやはり九十何歳かということで、そのころの四川・成都の顕官や富豪の家では、婚礼の宴会があると必ずこの老夫婦に来臨願い、その長寿にあやかって名誉なこととしていた。

陳損之はさすがに後蜀の終わりごろには亡くなったそうなのですが、その後、宋の時代に入って太平興国年間(976〜984)になっても

老婦猶存、僅一百二十歳。

老婦なお存し、一百二十歳なるのみ。

夫人の方はまだ生きていて、少なくとも120歳になっていた。

子孫に当たるひとびとが成都の西の市街に住んでいて、

造花為業、供侍稍給。

造花を業と為し、供侍やや給す。

造花をつくるしごとをしていて、それで十分に老人を養えていた。

「百二十歳か。どんなばあさんか見に行こうではないか」

という好奇心の強い者が観に行ったところ・・・・

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ああ、ダメだ、わたしも好奇心強いので続きが気になりますが、なにしろ今朝早起きしてふらふらになって人間ドック場に行ったので、もうふらふらです。こんなに眠いのに眠らないとタヒんでしまうかも知れません。しかも明日もシゴトが。まだ平日が何日も・・・。ということで、明日に続く。宋・黄休復「茅亭客話」巻四より。

 

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