平成26年6月21日(土)  目次へ  前回に戻る

げっしっし。今日は夏至。ということは明日からはどんどん日が短くなってまいります。今年ももう衰えていくのです。しかし表面しか見ないひとびとは、まだこれからが夏本番だ、などと思っていたりするのである。

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五代のころ、蜀の剣州の嘉陵江筋の地方に、十八姨と自称するばばあがおりました。

このばばあ、

往往来民家、不飲不食、毎教諭于人、但作好事、莫違負神理、居家和順孝行為上。

往々にして民家に来たり、飲まず食わずしてつねに人に教諭して、「ただ好事を作せ、神理に違い負(そむ)くこと莫れ、家に居りては和順し孝行するを上と為す」と。

しばしば民家にすがたを見せるのであったが、何か飲食物を求めることもなく、いつも村人たちに、

「ただただいいことだけをなされよ。神様の教えに違うたり乖いたりしてはなりませんぞ。家の中では和やかにみな逆らいあうことなく、親に孝行するのが最も尊いのでありますよ」

と教えていた。

そして、ばばあはぎろぎろと民家のひとを睨みながら言うのである。

「いいかい、あたしがこんなに言っているのに、それでもなお

若為悪事者、我常令猫児三五个巡検爾来。

もし悪事を為す者あらば、われつねに猫児三五をして爾を巡検させ来たらしむ。

もしも悪いことをするやつがいたらね、あたしは三匹から五匹のネコちゃんにいつもおまえたちを見張らせているんだからね。

あたしには筒抜けなんだよ」

もし悪いことを仕出かしてしまったら見張られている、というのである。

そして、

語畢遂去、或奄忽不見。

語畢(おわ)りて遂に去り、あるいは奄忽として見えず。

その言葉を話し終えるとふいと消え去って行き、時にはその場で突然見えなくなることもあった。

ばばあは一年に三〜五回ほど現れたそうである。

―――ばばあとかネコちゃんに見張られているからといってビビる必要もあるまい?

と思うのはしろうと。

人民たちは

知其是虎所化也。

そのこれ、虎の化するところなるを知る。

このばばあが老いたトラの化身であることを知っている。

「ネコちゃん」とはばばあの生んだホンモノのトラどものことなのである。

だから

皆敬而懼之。

みな敬しみてこれを懼る。

みんな、ばばあのことを恐れ敬愛しているのであった。

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五代・杜光庭「録異記」巻五より。トラが相手ではコワいから言うこと聴かないといけませんね。

どうやってトラの化身であると知ったのか、という点については触れられていませんが、この人民たち、表面から見えないことを知っている、というのですから立派なことである。

 

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