平成26年4月22日(火)  目次へ  前回に戻る

 

明日は会社行きたくないなー。身代わりに誰かを行かせてサボりたいなー。

・・・「身代わり」といえばゴーストライター事件が耳新しいところでございますが・・・

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唐の後半、支配体制を根乱させた要素の一つに、「党争」があります。特に、多くの文人たちを巻き込んだ、新進官僚を中心とする牛僧孺らの派閥と、保守的・貴族出身者らによる李徳裕グループの争い、いわゆる「牛李の党争」は有名ですね。

この牛李の党争の一方の立役者であった李徳裕が中央を追われて浙西の節度使に出ていたとき、劉三復という文人を知った。生活は苦しいようであったが、徳裕はその才能を見込んで、何くれとなく面倒を見ていたのだった。

ある時、皇帝から徳裕に書状を届いたことがあり、徳裕は三復に才能を発揮させてやろうと思って、彼を呼び寄せると、

子為我草表能立構否。

子は我が草表のためによく構を立つるや否や。

「きみは、わしが皇帝に御返事の奏上書を書くに当たって、その下書きをすることができるかな?」

と問うた。

「あい、できまっちゅ、やらちて、やらちてー!出世ちたいのでその糸口にちたいー!」

という返事を期待したのですが、三復は難しい顏をして腕組みし、曰く、

文貴中、不貴速得。

文は中(あた)るを貴び、速得を貴ばず。

「文章というのは、ちゃんとしたものがたっとばれるのであり、素早く作ることには何の意義もありません」

徳裕、思わず、

然。

然り。

「そのとおりじゃ」

と答える。

三復は腕組みしたまま、

「ところで・・・」

と別のことを言いだした。

中外皆伝公文。請得以文集観之。

中外、みな公の文を伝う。請う、得て文集を以てこれを観んことを。

「中央でも地方でも、みなさん、李公さまの文章はすばらしい、と言います。どうか、一度李公さまの文集をお貸しいただいて、読ませていただくわけにはいけますまいか」

「まあ、それは造作も無いことじゃが・・・」

徳裕は数巻の文集を貸し与えた。

すると、三復はその文集を丹念に読みこみ、数日して

体而為表。

体して表を為す。

徳裕らしい文章の運びにして、奏上文の案を持ってきたのであった。

どう読んでも、徳裕自身が自分の文章ではないか、と思うぐらい、その特徴を具えていた。

「なるほど、文章は速得を貴ばず、とはこの準備をしようということであったか。わしはきみはもうこのことには骨折ってくれぬかと思って下書きをはじめていたが、きみの文章の方がずっといいな」

「天下に李公さまの文章はよく知られております。なまなかなことでは代筆と見破られてしまいましょうほどに」

「ふむふむ、なるほどのう」

ということで、徳裕大いに気に入り、後、資財を与えて三復を都に送り、みごとに進士になるまでその面倒を見てやったということである。

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宋・王讜(おうとう)の「唐語林」巻二・文学より。同書は、王讜(字・正甫)が、南朝・劉義慶の「世説新語」にインスパイアーされて、五十種の書物から唐代の著名のひとたちのかっこいい言行を採用し、部門別に編集し直したもの。23.4.30以来の登場になります。

李徳裕も名文家なので、ゴーストライター事件とはいえこの件は「佳話」(「いい話」)とされております。おいらが明日身代わり立ててもそいつがおいらよりちゃんとしていたら許されるはず・・・。

 

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