平成26年4月1日(火)  目次へ  前回に戻る

 

ハッピー・エイプリルフール! いやー、めでたい。わたしども肝冷斎族にとっては年に一度のお誕生日のような日ですからなあ。何しろ「本当のこと」を言わなくてもいいのです。

でも、↓これは本当の話らしいんですよ・・・。

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清の乾隆時代、わし(←紀暁嵐)が烏魯木斉(うるむち)に赴任していたときのことじゃが、土着した流人の子で、方桂という牧人(牧畜業者の雇用人。西部のカウボーイに該たる荒れくれ者)がおった。

あるとき、この方桂が

牧馬山中、一馬忽逸去。

馬を山中に牧するに、一馬たちまち逸去す。

山の中で馬を放し飼いにしていたとき、一頭の馬が突然いなくなってしまったことがあった。

探していると、

隔嶺聞嘶声甚氏B

嶺を隔てて嘶く声、はなはだ獅ネり。

尾根の向こうから、馬のいななく声が聞こえた。たいへん激しく叫ぶような声である。

大急ぎで尾根の向こうの谷に降りて行った―――

「!」

―――そこで、方桂はあまりに異様な光景を目にして、息を呑んだのであった。

見数物、似人似獣、周身鱗皴如古松、髪蓬蓬如羽葆。

数物の、人の似(ごと)く獣の似くなるを見る。周身に鱗・皴(りん・しゅん)にして古松の如く、髪は蓬蓬として羽葆(うほう)の如し。

「鱗・皴」は「うろこ」と「しわ」。要するに松の樹皮のような状態。「羽葆」は古代の羽飾りで、「儀礼」

葆如蓋形、以羽為之、儀仗所用。

葆(ほう)は蓋形にして羽を以てこれを為(つく)り、儀仗の用うるところなり。

「葆」というのは、頭を蓋(おお)うような形で、鳥の羽根で作ったもの。儀式の際に用いられる。

とあり。

数体の、人間とも動物とも言い難い者たちを目にしたのである。「彼ら」は体中、老いた松の樹皮のようなウロコとシワに覆われ、髪の毛はぼさぼさでまるで羽飾りでもつけているかのようであったのだ。

そして、

目睛突出、色純白、如嵌二鷄卵。

目睛突出し、色は純白、二鷄卵を嵌めたるが如し。

目のたまは突出していて、その色は真っ白。まるで二つの鶏のタマゴを眼窩にはめ込んだようになっていた。

「彼ら」が、

共按馬生囓其肉。

ともに馬を按じて、その肉を生囓せり。

みなで馬を摑んで、生きたまま馬の肉を齧り取っていたのである。

馬はさすがにもういななく力も失って、口から泡を吹き、半ば白い目で虚空を見つめながら、食われている。

「彼ら」は馬を食うのに夢中で、まだ方桂には気づいていないようであった。

方桂はあまりに異様な彼らの姿に足がすくんだが、もとより野育ちの愚か者とはいえ、この荒涼たる西域の地で生きてきた男である。

―――逃げてはダメだ。逃げたなら、「彼ら」は追いかけてきて、わしもあの馬と同じ目に遭わされる・・・。

と直感した。

烏魯木斉あたりの牧人は、みな鳥銃(火縄銃)を携行している。

方桂はすぐ近くの木によじ登ると、火縄を装填して、

放銃。

銃を放った。

銃を発射した。

どん!!!!

銃声に驚いて馬から手を放した「彼ら」は周囲を見回していたが、方桂が次の火縄に火を点けて、

どん!!!!

再度発砲すると、

「きい」「きい」

と何やらわからぬ声で喚きながら、

物悉入深林去。

物、ことごとく深林中に入れり。

「彼ら」はみな、深い森の中へと逃げ込んで行った。

しばらくしても「彼ら」が戻って来る気配は無い。方桂は勇気を奮って樹上から降り、打ち捨てられた馬に近づいてみたが、

馬已半軀被啖矣。

馬、すでに半軀まで啖(くら)われたり。

馬は、もう半分ばかり食べられてしまっていた。

さすがに息は無い。

愚かで頑固な方桂は、その後も恐れることも無く山中に放牧に出かけているが、

後不再見、迄不知為何物也。

後再び見ず、いまも何物なるやを知らざるなり。

その後、「彼ら」を二度と見たことも無いし、いまだにその正体もわからない。

ということである。

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清・紀暁嵐「閲微草堂筆記」巻二より。

これは、アレ。アレですよ、ああ、ここまで出かかっているのに、アレの名前が思い出せないーーー!

 

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