平成25年9月7日(土)  目次へ  前回に戻る

 

今日は早くに荷物を運び入れたので、疲れた。コインランドリーも行かないといけませんしね。東京はコインランドリーが無い町なので、コインランドリーまで地下鉄に乗って行くんだよ。何か変な世の中である。ああ、子産さまのような為政者が仁政を以てもっと便利してくれないものか。

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子産さまのこと。

むかしむかし。魯の襄公の三十年、といいますから、紀元前543年のことでございます。

晋と楚という二つの大国にはさまれた小国・鄭で政変があった。いろいろあるんですが単純化していえば、公室の権威を無みして改革を進めようとした時の執政・伯有らの一派を別の貴族・子皮らが追い落とし、伯有は晋への亡命を図ったが失敗して死を賜ったのであった。

子皮は後継の執政に、晋・楚との外交ですでに名を成していた子産を指名した。

「え? わたし? それはダメですね」

子産はクビを縦に振らなかった。

「だいたい、

国小而偪、族大寵多、不可為也。

国小にして偪(せま)られ、族大にして寵多く、為すべからざるなり。

この国は小さい上に強国に挟まれて圧迫されているんです。国内で世襲貴族の権威・権限が大きく、一方で鄭公が御寵愛の権臣もたくさんおられる。やってられませんよ、絶対」

その子産の前で、伯有一派を追放した功績者である子皮は、深々と頭を下げた。言う、

虎帥以聴、誰敢犯子。子善相之、国無小、小能事大、国乃寛。

虎、帥(ひき)いて以て聴く、誰かあえて子を犯さん。子、善くこれに相たらば、国小なること無く、小なるもよく大に事(つか)うれば、国すなわち寛ならん。

「このわし(「虎」は子皮の名。子皮が字である)が群臣を率いてあんたの指示を受けるのだ。いったい誰があんたに逆らうことができようか。そして、あんたが執政としてうまく国を指導してくれれば、この国は大きくなれるだろうし、また、小国であっても大国に対して適切に振る舞えば、強国に圧迫されることも無くなろう。

頼む」

と言うのである。

「う〜ん・・・。それではやってみますが・・・」

というわけで、子産は鄭の執政となったのであった。

―――子産が真っ先に行ったのは、伯有の派閥のナンバー2で、有能の評のある伯石との関係を回復することであった。そこで、伯石に土地の開発を依頼し、その賞与として事前に町(「邑」)を一つ与えることにした。

子産に親しい子大叔がそれを聞いて、

国皆其国也、奚独賂焉。

国はみなそれ国なり、なんぞ独り賂せんや。

「この国の中はすべていちように公の支配する土地ではないか。どうしてその町だけがあのひとに献上されなければならぬのか」

と忠告したが、子産は答えて

無欲実難。皆得其欲、以従其事、而要其成。

欲無きは実に難し。みなその欲を得んとして以てその事に従い、その成を要むるなり。

「無欲でいることはたいへん困難なことですよ。誰もかれも欲しいものを手に入れようとして仕事をし、成功しようとするものです。

やるのはわたしではない。あのひとにやってもらわないといけないんですから、あの人の欲しいものを先に差し上げようというわけです。こちらで何を物惜しみしましょうか。

それに、

邑将焉往。

邑、はたいずくにか往かん。

町はどこかに行ってしまうわけではありません。

鄭の国の一部であることに変わりはないですよ」

子大叔はそれでも心配して言った、

若四国何。

四国をいかんせん。

「我が国の四方を取り囲んでいる大国が、何か仕掛けて来はせんかな?」

「いやいや」

そこは外交に詳しい子産であった。

「もし内部で乖きあって、新たに町が一つ抵抗側のものになったのなら、どこかの国が反間の計を仕掛けてくることは十分にあり得るが、内部が納得づくでの領有なら大国にも何ができるものか。

我が鄭には「鄭書」といわれる政治の要諦を記した書物があるが(←注:現代には伝わっておりませんので念のため)、その中に

安定国家、必大焉先。

国家を安定せんとすれば、必ず大、先にせん。

国家を安定させるためには、まずは大貴族たち(を安定させること)を優先せねばならぬなり。

と書いてあるではありませんか」

伯石は町を与えられると、鄭の国都にいるのは危険だと感じていたからであろうか、すぐにその町に向かい、開発の事業に従事しはじめた。

それから子産は大史(記録官)を通じて、

命伯石為卿。

伯石を命じて卿と為さんとす。

伯石を大夫の位につけようとした。

しかし、伯石は国都に戻ることを嫌がり、その命令を断った。

大史はその旨を鄭公と廟堂の子産らに報告した後、再度命を伝えたが、伯石はまた断った。

大史が三度目に命を伝えると、ようやく伯石はそれを受け、国都に来たって拝礼の儀式に出席した。

「ふーん。・・・断るなら断り続けるべきでしょう。受けるのなら二度も断る必要はない」

子産是以悪其為人也。

子産ここを以てその人と為りを悪(にく)めり。

子産はこのことがあってから、伯石の人物・能力について疑いを持つようになった。

自分より上位にする必要はない、と認識したのである。

・・・というところに、別の政敵が現れました―――

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が、また次回。「春秋左伝」魯襄公三十年「鄭子皮授子産政」章より。

 

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