平成25年1月27日(日)  目次へ  前回に戻る

 

昨日・今日で三か所の「さくら祭り」に寄ってきました。屋台でずいぶん「でぶの素」食った。

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さて、帝堯の時代、

ずどどど〜ん。・・・・・・・・・

水星之精、墜於張掖郡柳谷中。

水星の精、張掖郡の柳谷の中に墜つ。

水星の精「辰星娘娘」が落ちたのは、張掖郡柳谷ということであった。

張掖(ちょうえき)は西域に近い今の甘粛省の地名です。

「おほほほー、こんな西域に落ちてしまいまちたわよー」

娘娘(にゃんにゃん)はまだコドモでしたので、何でもおもしろいので毎日毎日ドウブツや鳥や虫を探しだしては遊んでおりましたが、何しろ西域ですから、いつまで経ってもニンゲンはほとんどいません。

「退屈ですわねー」

と段々退屈になりまして、

ぼわ〜ん

化為黒石、広一丈、高三尺。

化して黒石、広さ一丈、高さ三尺なるものと為る。

長さ・幅一丈、高さ三尺の平ぺったい黒い石に化けた。

「おほほほー、しびれる黒さ〜。でもこのままで終わるあたちではありません〜」

とはしゃいで、戦国時代の終わりごろ(前3世紀)から、ゆうっくりと変化し始めました。

漢之末、漸有文彩、未甚分明。

漢の末、ようやく文彩あるもいまだ甚だしくは分明ならず。

漢の終わり(2世紀末から3世紀初)ごろになるとやっと模様が見えるようになってきましたが、まだはっきりとしたものではなかった。

やがて

魏青龍年、忽如雷震声聞百余里、其石自立。白色為文有牛馬仙人之状及玉環玉玦。

魏の青龍年、たちまち雷震の如きの声、百余里に聞え、その石みずから立てり。白色にして、文を為して牛・馬・仙人の状、及び玉環・玉玦あり。

魏の青竜年間(233〜237)に至るや、ある日突然落雷のような烈しい音がその石から半径50キロぐらいの一帯に聞え、気がつくと石はひとりでに立ち上がっていた。その石は白色に変色しており、その表面には牛・馬・仙人、さらに玉の環、玉の(一部が欠けた)輪の模様が浮かび上がっていたのである。

これは泰始元年(265)に司「馬」氏の晋が建国される前兆だったのであろう。司馬氏は、五行のうち「土」徳をもとにしていた曹氏の魏に代わって「金」徳をもとにしており、「金」を象徴する色は白であるから、そのことも明らかにされていたのである。

しかるに司馬氏がその権を失い、中原に西域出身の匈奴族をはじめとする蛮族が侵入して五胡十六国の混乱を呈するころには、張掖の白石はいずこかに消えうせてしまっていたというから、辰星娘娘も四世紀には宇宙に帰ってしまっていたのである。

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やっと五惑星がそろいました。さてさて、

唐堯之際、当天気窮於太陽、地気極於太陰。

唐堯の際は、天気は太陽に窮まり、地気は太陰に極まるに当たれり。

堯帝(陶唐氏)の時代は、天のエネルギーがはなはだ活動状態で、地のエネルギーはたいへん不活発な状態であった。

こんな中で、当時の甲申の歳、大いなる災いのめぐりの年があって、その時に

五星隕精、日月濁景。

五星は精を隕とし、日月は景を濁らす。

五惑星の精がずどどど〜んと大地に落ち、その土煙で日と月の光が弱まった。

そのときの五星の精が宇宙に帰るのに数千年を要したわけだ(火星だけ帰ったかどうか不明だが)。

次にまた星が隕ち(小惑星とか?)、日月の光も遮られるときが来ないとも限らないであろう。

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「録異記」巻七「異石」より。(小)惑星衝突による世界滅亡説ですか。数千年の範囲ならあるカモ。

ところで、アルジェリアの邦人殺害テロについて。

邦人保護のためであっても自衛隊の海外派遣はしてはならない、憲法九条違反だから、とH新聞やM新聞が言うております。ほんとうに憲法九条がそういうことを規定しているのなら、九条はもう国民の意思を反映していないのは明らかである。そろそろ憲法制定権力を発動しなけ・・・と思ったけど、おいらはコドモだからはっきりいうの止めて、

「憲法の改正の可能性の端くれを、もしかしてもしかしてもしかしたら議論しはじめないといけないのカモ」

と言うにとどめておきまちゅ。

 

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