平成25年1月13日(日)  目次へ  前回に戻る

 

今日は風雨激しい中、肝冷斎一世は「やつら」に見つからないように国頭地方に逃げて行ってちまいまちた。ちかたがないので童子の二世肝冷斎が担当いたちまちゅ。

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今日はまた有名人の方に詩を作っていただきまちた。

韵事多年冷如灰。  韵事は多年冷ややかなること灰の如し。

 わたくしは、詩歌のことについては長年興味が無く、詩情は灰のように冷え切っているよ。

そこを何とか。

用猛翻余十七回。  猛を用うるも翻って余すは十七回。

 わたくしは人生に二十一回「勇猛心」を用いることにしようと思っていたが、もう四回使ってしまったからあと十七回分だ。

ほう。四回とは?

―――江戸の藩邸から逃げ出したこと(亡命)、藩主さまに直接上書して過激な意見を述べたこと、小舟で米国船に近づき渡米を志願したこと、過激な意見を止めず最近また再び獄に下されたこと。・・・の四回だな。

獄中今日逢人日、  獄中に今日、人日に逢い、

自怪余情及野梅。  自ら怪しむ、余情の野梅に及ぶを。

 その獄中で、たまたま今日は正月七日の「人日」になった。

 自分でも不思議なことに、(詩情など冷え切っていたはずなのにどういうわけか)心の端っこが野生の梅のことを気にして、しようがないのだ。

これは、安政の大獄によって長門の野山の獄に囚われていたとき、安政六年(1859)正月七日の詩。

作者はこの後釈放されることなく、江戸に送られて、この年十月、江戸小塚原にて刑死。ごくろうさまでちた。

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松陰・吉田寅太郎先生「正月七日作」でございまちた。一月七日の「人日」にご紹介するつもりで忘れておりまちたー!

松陰先生は「吉田」を分解して「二十一回」と読み、「二十一回居士」と名乗ったが、二十一回何をするのかは知りませんでしたが、「猛」(勇猛な心)を用いることだったのでちゅね。十七回ぐらい残った分はあらかた弟子たちが幕末・明治に奮い用いてしまったであろうが、まだ用い残した分があるらしくて、この国にインテリどもに毒されぬ「草莽の志士」が絶えせぬのである。

 

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