平成24年7月3日(火)  目次へ  前回に戻る

 

まだ火曜日ですか。でも今日から隠逸生活に入ったからいいか。今日からはわしの「影」に会社に行くことにさせた。「影」は感情がなく受け答えもできぬが、それでも普段のわしと同じぐらいにはしごとはするであろう。

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「続晋陽秋」という書によれば、戴逵、字・安道というひとは

不楽当世、以琴書自娯、隠会稽剡山、国子博士徴、不就。

当世を楽しまず、琴書を以て自ら娯(たの)しみ、会稽の剡山(せんざん)に隠れ、国子博士に徴(め)さるも就(つ)かず。

現世がイヤで、ひとり琴を爪弾き書を読むことを楽しんで、浙江・会稽の剡山に隠れ住んでいた。名誉ある職である国立学校の教授を打診されたが、就職しなかった。

ところで、その兄の戴逯、字・安丘というひとは、官僚として功績をあげ、立身しようとしていた。

官界の長老格であった謝安が、朝廷で安丘に会った際、

卿兄弟志業、何其太殊。

卿が兄弟の志業、何ぞそれはなはだ殊(こと)なれる。

「おまえさんたち兄弟の志し、行うところは、どうしてそんなに違うのかね?」

と訊ねたところ、安丘はマジメくさった顏をして、

下官不堪其憂、家弟不改其楽。

下官はその憂いに堪えざるも、家弟はその楽しみを改めざるなり。

わたくしめは隠棲によって生活が成り立たなくなるのではないかと心配になりますが、うちの弟は隠棲生活の楽しみを味わってそれを変えようとしないのでございます。

と答えた。

この答えは、論語・雍也篇」の有名な一節、

子曰、賢哉回也。一箪食、一瓢飲、在陋巷。人不堪其憂、回也不改其楽。賢哉回也。

子曰く、賢なるかな回や。一箪の食(し)、一瓢の飲、陋巷に在り。人はその憂いに堪えざるも、回やその楽しみを改めず。賢なるかな回や。

「箪」(タン)は竹製の食べ物を入れる箱、要するに弁当箱である。「食」は食事や食物一般ではなく「昼めし」「一杯めし」の「めし」に当たる用法で、そのため古くから「シ」と読みならわす。「瓢」はひさごを二つに割って作ったお椀。

先生がおっしゃった。

賢いのう、顏回は。食べるものは弁当箱に詰めた一杯のメシ。飲むものはひさご製のお椀に汲んだ水。せまい路地裏に住んでいる。ふつうの人はそんな生活ではイヤだと思うものだが、顏回はその楽しみを変えようとしない。賢いのう、顏回は。 ・・・・@

を踏まえ、

→自分は俗物です。弟のように立派な人間ではございません。

という意を言外に含む。

謝安はその率直な回答をたいへん喜び、彼を軍務に推薦した。

安丘はこれより実直な用兵を以て多くの武功を立て、ついに広陵侯に封ぜられ、官は大臣クラスの大司農にまで至ったのである。

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「世説新語」巻十八より。わしは弟の方で行きますので。ぶははー。さらば。

ちなみに、@については、古来二つの「取りよう」(要するに「解釈」)があります。

(1)古く「韓詩外伝」などに出るもので、顏回が孔子からそのような貧しい生活をかえて出仕する気があるか、と問われ、

鼓琴足以自娯、所学於夫子者足以自楽、回不願仕也。

琴を鼓せば以て自ら娯しむに足り、夫子に学ぶところは以て自ら楽しむに足れば、回は仕うるを願わざるなり。

琴をつま弾けば、一人で楽しくしておれますし、先生から学んだことを復習していれば、おのずとおもしろくてしようがありません。顏回は仕官を求めようとは思いませぬ。

と答えた。それを孔子が褒めたたえた、という説で、弁当箱のメシ、ひさごの水、という生活自体が楽しい、という考え方です。

(2)これに対し、程伊川や朱晦庵のような宋儒は、そういう生活自体が楽しかったのではない、そういう生活でも「あること」があったので楽しかったのだ、その「あること」が大切なのだ、と言っております。

朱晦庵の「論語集注」によれば、

―――顏子(顔先生)の貧乏はかくのごとくであったが、しかるにこれに処して泰然とし、

不以害其楽。

以て其の楽しみを害(そこな)わず。

そんなことで「その楽しみ」を邪魔してしまうことがなかった。

だから、孔子はこれを褒めたたえて、「賢いのう顏回は」と二回も言い、その美しい心ばえを深く歎じたのである。

程伊川先生が言っている。

・・・むかし、濂溪先生・周茂叔に教えてもらったとき、つねに言われたのが、孔子や顏回の「楽しむ」その対象が何であったかをよく考えろ、ということであった。・・・

愚かなわたし(朱晦庵のこと)が考えるに、この程先生の言は後世の学者によくよく自分でも考えさせようとして、「何であったか」をはっきり言っていない。愚かなわたしもまたあえてみだりに説かないでおこう。ただ、「論語」にはほかに顏回に関して、「博文約礼」(文に博くして礼に約す)や「やめようとしてもやめることができず、自分の才能を尽くすばかりだ」などの言葉があり、これらがヒントになるであろう。―――

と。

ちなみにこの朱子の解釈は程伊川の本意を枉げている、という説もあったりしていろいろ先生がたの議論は果てしないのですが、講義はここまで。この先が聞きたかったらこの○○山まで訪ねてきてください。隠逸しておりますのでな。ぶははー。

 

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