平成24年7月4日(水)  目次へ  前回に戻る

 

隠逸生活に入ったので、曜日の感覚無くなった。

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被衣(ひい)という者は堯の時代のひとだといい、あるいはもっと昔のひとだともいう。要するに歴史の始まる前の超古代のひとである。

被衣には王倪という弟子がいたが、この王倪にはまた齧缺(げっけつ)という弟子がいた。

齧缺がその師である王倪に

「先生は利害を超越しておられるように見受けられます。至上のひととは、先生のようなひとを言うのでしょうか」

と質問したところ、王倪はびっくりしたような顏をして、

至人神矣。

至人は神なり。

「至上のひと、というのは神のことじゃぞ!」

と叫ぶなり、黙りこくってしまった。

何を聞いても答えてくれない。

齧缺はしかたなく、王倪の師である被衣のところに行き、

「うちの先生は何も答えてくれなくなりました。老先生、道とはどういうものなのでしょうか、神とはどういうお方なのでしょうか」

と訊ねた。

被衣は相当の年配であったが、

「ふほほ」

と笑いながら、答えていうに、

若正汝形、一汝視、天和将至。摂汝知、一汝度、神将来舎。

もし汝の形を正し、汝の視を一にせば、天和まさに至らんとす。汝の知を摂し、汝の度を一にせば、神まさに舎に来たらん。

「おまえさんは身を正して、一か所をじっと見つめなさるがよいぞ。天上のしあわせがおまえさんにやってくるであろう。おまえさんが智慧を鈍らせ、判断力を一点に集中させれば、そこに神がやってくるであろう。

そうなれば、徳はおまえさんを飾ってくれるだろうし、道がおまえさんの居場所となるじゃろう。おまえさんの瞳は生まれたての子牛のように、何物にもこだわることなく無心になれるであろう・・・」

言未卒、齧缺睡寐。

言、いまだ卒らざるに、齧缺睡寐す。

その言葉がまだ終わらないうちに、齧缺は、ぶうぶうと居眠りをはじめていた。

「うひょひょー」

被衣はそれを見て大いに悦び、

行歌而去之。

歌を行(うた)いてこれを去りぬ。

齧缺を褒めたたえる歌をうたいながら、どこかに消えて行った。

その歌に曰く、

形若槁骸、心若死灰。真其実知、不以故自持、媒媒晦晦、無心而不可与謀。彼何人哉。

形は槁骸のごとく、心は死灰のごとし。まことにそれ実知す、故を以て自持せず、媒媒晦晦、無心にしてともに謀ごとすべからず。彼、何人ぞや。

からだは枯れたがいこつみたいで、こころは灰のように燃え尽きてしまっている。

これこそ本当に知っている、ということじゃ。だから自分を自分だとも思わず、ぶらぶらふらふら、無心だから相談することもできやせぬ。

おまえはいったい何者じゃ?

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晋・皇甫謐「高士伝」より。「どこかに消えて行った」というのは、ゲゲゲのキタロウを讃える歌みたいですが、実はわしもこの齧缺のように師匠の前で何度も何度も眠ってやりました。しかし、わしの師匠たちはそれを褒めてくれず、たいてい叱るばかりであった。わしには被衣老先生のような理解あるひとがいなかったからなー。

そういえば、唯一理解ある師匠であった?岡本全勝さんのHPがまだ更新されませんねー。ウツなのかも。ウツになったら亜熱帯にある我が○○山を訪ねてきなされ。ぶはははー。

 

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