平成24年5月5日(土)  目次へ  前回に戻る

 

こどもの日でちゅー!

今日はもっちろん、この二世・肝冷斎童子ちゃんが、こどもの喜ぶお話をいたちまちゅよー!

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こども心にもかわいちょうな、楊貴妃の最期。

―――安禄山の反乱から逃げる途上、兵士らの強請により、玄宗皇帝は馬㟴坡という峠で、ついに楊貴妃に死を賜った。楊貴妃は梨の樹の下で、玄宗帝の忠実無比なる宦官・高力士によってできるだけ苦しみを与えぬように、綿の紐で縊り殺されたのである。

さて、このときのこととして、唐の李肇「唐国史補」には次のような物語が記されているの。

・・・・貴妃が縊られると、高力士は、馬㟴坡の茶店のばばあにその亡骸の処理を依頼した。

「へ、へへい」

と承ったばばあは、貴妃の遺体を手厚く葬ったのであったが、そのとき、

店媼得錦韤一隻。

店媼、錦の韤(べつ)一隻を得たり。

「隻」はつがいとなっているものの一揃え分を数える数詞。

店のばばあは、貴妃の身につけておられた錦のくつした一足を、ねこばばしたのである。

そして、

過客伝玩、毎出百金、由此致富。

過客伝えて玩(もてあ)そぶに、つねに百金を出だして、これにより富を致せり。

峠を過ぎる旅人で、そのくつしたを手にして愛おしみたい、というひとがあると、それぞれに金貨百枚を申し受けたから、あっという間にたいへんな金持ちになった。

・・・・ということでちゅ。

一方、「玄宗遺録」という本があるらしいのでちゅが、これにはこんな記事が載っていまちゅ。

高力士が楊貴妃を縊り殺さんとしたとき、貴妃は自らの手でくつしたを御脱ぎになられ、力士に「これを陛下に・・・」とお託しになった。

後に平和な時代が来てから、ある日、玄宗皇帝は高力士をお呼びになられ、

「昨夜、貴妃の夢を見た。あれは夢の中でわしに、おまえに大切なものを預けた、と言っておったのじゃ・・・」

「陛下、それは正夢にござりまする」

高力士、あの日よりずっと懐に入れて大切に持ち歩いてきた美しいうす絹の韤を取り出し、皇帝に献上した。

玄宗、これに頬ずりし、落ちる涙も二行三行(ふたつらみつら)、感ずるところあって

作妃子所遺羅韤銘。

「妃子遺すところの羅韤の銘」を作る。

「あのひとの遺していった薄絹の靴下のうた」を作った。

曰く、

羅韤羅韤、香塵生不絶。

羅韤(らべつ)、羅韤、香塵生じて絶せず。

薄絹のくつしたよ、薄絹のくつしたよ、あのひとの香ぐわしい足のかおりは消えることがない。

と。

二説雖不同、皆言妃子有遺韤事。

二説同じからずといえども、みな妃子の韤を遺ししことあるを言えり。

この二つの本の記載はまったく同じではないが、どちらも楊貴妃がくつしたを遺したことを伝えている。

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おいらにこのお話をしてくれたのはお髭のおじさん、宋の王勉夫さんでちゅ。

「ほんとなんでちゅかね?」

僕始疑其附会。

僕、はじめその附会なるを疑う。

「わしも実は最初はいい加減なこじつけ話ではないかと思っていたんじゃ。

しかし、唐の時代の劉禹錫という詩人に「馬㟴行」(馬㟴峠のうた)という詩があって、その中で

履綦無復有、   履綦また有ること無きや、

文組光未滅。   文組の光いまだ滅せず。

不見厳畔人、   厳畔の人を見ざるも

空見淩波韤。   空しく淩波の韤を見る。

郵童愛踪跡、   郵童、踪跡を愛し、

私手解鞶結。   私手に鞶(ハン。くつしたの紐)の結びを解く。

伝看千万眼、   伝え看る千万眼、

縷絶香不歇。   縷々として絶香歇(つ)きず。

足を包んだ編み物はもう無くなってしまったのか。

いや、美しい編み物の光はまだ消えてはいなかった。

峠の土手で亡くなったそのひとを見ることはできないが、

それでも綾なす錦織のくつしたは見ることができる。

旅がらすたちはあのひとの遺したものを愛し、

自分のその手でくつしたの紐を解く。

おお、千人・万人のおとこたちの眼にさらされても、

あのひとのすてきな香りはいついつまでも消えることはない。

劉禹錫もおそらくこのあたりを旅したはずで、このことは彼の実見に基づくものではないかと思われる。やつも楊貴妃のくつしたに触れ、におい嗅ぎやがったのだ!

そうすると

知当時果有是事。

当時果たしてこの事有るを知る。

唐の時代、楊貴妃のくつしたを見せる店があったのは確かだということになる。

なので、楊貴妃のくつしたはほんとに遺されていたのかも知れないのだ」

「うふふふ、くつしたでちゅかー、絶世の美女、それもむっちり型で有名な楊貴妃のくつしたー」

「お、肝冷斎くんも、女のひとのくつやくつしたに異様な興味を持つかね」

「男の子は、みんな女のひとのくつとかくつしたとか、スキでちゅからねー」

「ひっひっひっひっひ」

「うふっふっふっふっふ」

と、おいらたちはしばらく時空を超えてニヤニヤしていたの。

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王勉夫おじたまの「野客叢書」巻二十二より。

え?

子どもがそんなことに興味を持つのはおかしい?

何を言っているのでちゅか、男のコならみんな現実の女のひとそのものより、女のひとのくつとかくつしたに異様な興味を持つに決まっていまちゅよー!

 

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