平成24年3月30日(金)  目次へ  前回に戻る

 

やっと週末・・・。

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毎日、何も言うことはない。感情のようなものが起こらなくなるのである。

しかし、週末で、明日・明後日休みだと思うと、にこにこしてしまうのです。

四方景好無如洛、  四方 景の好ろしきは洛の如き無く、

一歳花奇莫若春。  一歳 花の奇(くす)しきは春に若(し)く莫(な)し。

 あちらこちらを訪うてみてが、景色のよいのは洛陽城

 一年この世で暮らしてみるに、花がおもしろいのは春である。

景好花奇精妙処、  景好ろしく花奇しく精妙の処は、

又能分付与閑人。  またよく分じて閑人に付与す。

 景色よく花もおもしろい、いいちばんいいところは、

 どういうわけだか、ひまじんにうまいこと回ってくるものじゃ。

と、わしも敬愛し、また現代のチュウゴクびとの多くも敬愛するという北宋の安楽窩主人・邵雍のお言葉である。(「伊川撃壌集」巻十九「洛陽春吟」八首の一)

春が来たようだから、わしも明日は杖をひきずって洛陽城内をうろついてくるかな。

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と思ったのですが、今宵から明日にかけては「春嵐」だということだ。出歩くこともならず、おうちで鬱々するしかないのかな。

光陰不肯略従容、  光陰肯んぜざるもほぼ従容、

九十日春還又空。  九十日にして春還りてまた空し。

 時の過ぎゆくのはイヤですが、とはいえどうしようもない。

 立春から九十日で春はまたどこかに行ってしまうのじゃ。

多少落花無著莫、  多少の落花は著莫する無く、

半随流水半随風。  半ばは流水に随い、半ばは風に随う。

 ずいぶんたくさん花が落ちたが、花はどこかに落ち着いたわけではなく、

 半ばは水の流れに流れ行き、半ばは風の舞うに舞い去った。

これは人の青春に似ているね。わしにも苦く思い出す春の、無いわけではない。「洛陽春吟」八首の四。

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さて、わしはやはりウ○が出始めた。季節だから仕方ないといえばそれまでだが。

 

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