平成24年3月16日(金)  目次へ  前回に戻る

 

明日は休みでちゅ! ゆっくり寝て、いい夢みたいでちゅう!

ところで、↓のひとはいい夢見れた、といえるのかな?

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余少時嘗夢至人家。

余、少時、かつて夢に人家に至る。

わしは、まだ若いころ、どこかの人の家に入っていく夢をみたことがある。

その家の書斎のあたりは群生した竹に覆われ、暗くどんよりしていた。

母屋の方に回ると、

堂下皆古柳、鴉噪不止。

堂下みな古柳にして、鴉噪ぎて止まず。

建物の側にはあちこちに老いた柳が植えられ、カラスが鳴き騒ぎ続けていた。

家の主人にはまったく会えず、

「陰気なところだなあ・・・」

と思いながら、夢の中で詩を作った。

竹多翻障月、  竹多くして翻(かえ)って月を障(さ)え、

木老只啼烏。  木老いてただ烏啼く。

竹がたくさんあって爽やかなはずなのに、かえって月の光をさえぎるばかり。

木が古びて荘重なはずなのに、どうしてはカラスがうるさく鳴くばかり。

竹は清らかなもの、木が古びれば鳳凰でさえやってくるかも知れないもの、なのに・・・。

というわけで、

似譏其主人也。

その主人を譏るに似たり。

この家の主人にはちょっとがっかりした、と言うような詩である。

眠りから覚めても、その陰気な家のことは鮮明に思い出せたから、その詩のこともずっと忘れることはなかった。

それから何十年も経った。

わしは官吏となり、あちこちに赴任した後、金陵(南京)の国学の教官を拝命した。

着任して、係の者にはじめて今の官舎に案内されたとき、

―――あれ? この家はどこかで見た家だな?

と強い既視感を覚えた。

則庁下及門外、古柳参天、鴉鳴竟日。

すなわち庁下より門外に及びて古柳天に参じ、鴉鳴きて日を竟(お)う。

つまり――母屋の前から門の外にかけて老いた柳が空に向かって伸びあがり、そのあたりではカラスが一日中鳴いているのである。

そして、

庁傍小書室、叢竹蔽虧。

庁傍の小書室は、叢竹蔽虧(へいき)せり。

母屋の横の小さな書斎は、群生した竹に破れ目まで覆われていた。

まったくあの夢のとおりの家である。

で、住んでみると静かでしっとりとしていて、カラスの声もよくよく聴いていると味わいのあるもので、若いころどうしてこの家の主人を批判しようなどと思ったのか、そのころの心情が思い出せないぐらいである。

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周必大「二老堂詩話」より。休前日なので心のどかになり、ちょっと不思議でほのぼのとしたお話をお送りしました。なお、著者の周必大は南宋のひと、朱晦庵(朱子)とも深い交流があった。

わたくしにも、こういう幼いころ夢で何度も見た町、というのがあったような記憶があるのです。たしか古墳のある町で・・・いや、城跡だったか・・・。もしかしたらそんな記憶があった、ということそのものが成長してからの思い違いかも知れません。最近に至っては夢さえ見なくなった。その代わり、昼間の人生そのものが夢なのだ、という感じがだんだんしてきた。

 

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