平成24年1月24日(火)  目次へ  前回に戻る

 

くしゃみ・はなみず・はなづまりのほか、足腰肩くるぶしなどが痛いす。

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昨日はじめてしまいましたところの、大聖人・孔子さまと老聃の会話を続けます。

老聃曰く、

「そもそも道というものが、もし献上できるものであれば、誰でもその主君に献上していることでありましょう。もし進物にできるものであれば、誰でもその親御さんに差し上げてしまっていることでありましょう。もし人に言葉で教えられるものであれば、誰でもその兄弟に教えていることでありましょう。もし誰かに与えることのできるものであれば、誰でもその子孫に与えていることでありましょう。

しかし、そうなっていない。誰も道を献上してもらったり進物としてもらったり言葉で教えてもらったり相続して与えてもらったり、していない。すなわち、そんなことはできないのじゃ。

「道」とは、

中無主而不止、外無正而不行。

中に主無くして止まらず、外に正無くして行われず。

内面において、主体となるものがあるわけではなく、一定の状態が保たれるわけでもない。外面において、「これが道だ」という証しとなるものがあるわけではなく、はっきりわかるように動くものでもない。

「正」はここでは「証」のことでござるよ。ふほほ。

逆にいえば、道の内面から出てくるものは、外のものが接受することができない。このことを、いにしえのひとは、

聖人不出。

聖人は出ださず。

聖人はあらわにしない。

と言うた。

また、道の外面から入り込もうとしても、内側に主となるものが無いからとっかかりようがない。このことを、いにしえのひとは、

聖人不隠。

聖人は隠さず。

聖人はしまいこんでいない。

と言うた。

よいかな。

名公器也。不可多取。

名は公器なり。多く取るべからず。

名誉というのは公共の財産である。自分だけで多くを独り占めすべきものではない。

仁義、先王之蘧廬也。止可以一宿而不可久処。覯而多責。

仁義は、先王の蘧廬(きょろ)なり。ただ一宿を以てすべくして、久しく処(お)るべからざるなり。多責せらるればなり。

仁と義、すなわち道徳は古代の聖なる王たちにとっての「宿屋」であった。一晩のように短い時間だけ仁義を使用するものであって、長くそれを使ってはならない。ずっと仁義にとどまろうとすると、細かいことを揚げ足取りされて、批判されることが多くなるからである。

だから、いにしえのすばらしい人たち(「古之至人」)は、「仁」に道を借り、「義」に宿泊し(て表を飾りながら)、

游逍遥之虚、食于苟簡之田、立于不貸之圃。逍遥無為也、苟簡易養也、不貸無出也。古者謂是采真之游。

逍遥の虚に游び、苟簡の田に食らい、不貸の圃に立つ。逍遥は為す無きなり、苟簡は養いやすきなり、不貸は出だす無きなり。いにしえはこれを「采真の游び」と謂えり。

ふらふらの原野にさまよい、すっきりの田で収穫し、やらずの庭に立っていたものじゃ。「ふらふら」とは何もしないということであり、「すっきり」とは食い扶持をかせぎやすいということであり、「やらず」とはこちらは何も支出しない、ということである。このようなやり方を、むかしは「ほんとうのことを得たゆとりある行動」と謂うたものじゃ。

―――のう、孔丘よ。

富を求める者は収入についてひとに譲ることはできぬ。名誉を求める者は名声についてひとに譲ることはできぬ。権力が欲しい者はひとに権限を与えるはずがない。

このひとたちは、収入や名声や権限を得れば武者震いし、失えば悲しむ。何一つ、客観的に見ようとはせぬ。

以窺其所不休者、是天之戮民也。

以てその休(や)まざるところを窺えば、これ、天の戮民(りくみん)なり。

そこで、かれらの求めて止まぬ生き様をよくよく見ると、かれらは「天から刑罰を与えられた者」というべきである。

天から刑罰を与えられた者――「天の戮民」とは、本来不要な何かを求めて自分の本来のすがたを取り失い、自分で自分を苦しめているようにしか見えないひとをいう。

さて、

怨恩取与諌教生殺八者、正之器也。

怨・恩・取・与・諌・教・生・殺の八者は正の器なり。

怨みをはらす、恩を与える、持っているものを奪う、持っていないものを与える、諌める、教える、生かしておく、殺す。この八つの行為は、正義を遂行する手段である。

これらを定型化させずに、変化にしたがって使うことができるなら、これらの手段をうまく用いる者といえよう。

いにしえの人が言うとおり、

正者正也。其心以為不然者、天門弗開也。

「正」なるものは「正す」なり。その心、以てしからざる者は、天門の開かれざるなり。

正義というのは、人の悪を正すということじゃ。しかし、こころの持ち方がそうでない者(おのれの利益のためにする者)に対しては、「天の門」は開かれはしないのじゃ」

「どひゃひゃー!」

次々と難しいことを言われて孔子はたじたじであります。・・・・・・

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「荘子」天運篇より。

この後、さらに老聃の説教は続くのですが、それはまたいずれかの時にいたしましょう。ここでは、孔子さまほどの方でも数えで五十一歳のときには、まだこの体たらくであった、ということを知っていただければいいのでございます。

杜甫は

人生七十古来稀。

人生七十、古来まれなり。

七十歳まで生きるやつは、むかしから珍しいぐらいじゃ。

と言うておりますが、一方で、

人生五十不為夭。

人生五十、夭となさず。

五十歳まで生きたやつは、もう「若死に」とはいわれないのじゃ。

とも言っております。

孔子様でさえ五十ぐらいでは、まだまだ未熟者なのでございますから、五十から七十の間にすごい進歩するものなのでございましょう。乞うご期待・・・いただいても・・・。

ちなみに、せっかくですから、「天の戮民」というイディオムだけは覚えておきましょう。そうなってしまわないために。(・・・え? みなさん、手後れ?)

 

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