平成24年1月25日(水)  目次へ  前回に戻る

 

巨大なはなくそ出た。感冒薬によりはなみずがかたまったのであろう。

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はなくそはなぜできるのであろうか。それははなみずがだんだんと粘り気を帯び、ついには固形化するのであろう。

同様に、石が出す乳がかたまりまして、鍾乳石ができあがるのであります。この鍾乳石のもとになるどろどろの水(石鍾乳)は長寿の薬でありますが、特に美味なのは楚や越の山中のものであり、零陵郡のそれはたいへん美味な上に量が豊富であった。

ところが、その零陵の鍾乳が尽きてしまい、採取できなくなった。

零陵の知事は出世に一心不乱の方でありまして、名物の鍾乳を要路の方々への進物にしていた。それが採取できなくなったので、たいへん困ったが、やがて一計を按じた。部下に命じて他の地の鍾乳を買い集めさせて都に送らせたのである。

さて、その知事が努力の甲斐あってか都に栄転し、後任の崔某がやってまいりました。

崔知事はたいへんおっとりした方でしたので、領民たちは一息ついた。

知事が赴任してからわずか一か月後、鍾乳取り(「穴人」)が郡庁にやってきて、

以乳復告。

乳の復するを以て告ぐ。

鍾乳がまた採取できるようになったことを報告した。

すると、町のひとたちは、

「これは知事さまの徳のおかげで起こった奇跡(「祥」)ではなかろうか」

と言いだし、

公化所徹、土石蒙烈。以為不信、起視乳穴。

公の化の徹するところ、土石の蒙ること烈(はげ)し。以て信ぜられずと為さば、起ちて乳穴を視よ。

知事さまの徳化はたいへん強く、土や石まで強い影響受けた。信じられないというならば、行ってごらんよ鍾乳洞を。

という歌が流行るまでになったのである。

この歌を聴いた鍾乳取りの男、にやりと笑いこう言いだした。

「知事さまの徳といえばそのとおりじゃが、奇跡(「祥」)かどうか・・・。

こういうことは考えられませんかな?

向吾以刺史之貪戻嗜利、徒吾役而不吾貨也。

さきに吾は刺史の貪戻にして嗜利なるを以て、いたずらに吾が役にして吾が貨とせず。

この間まで、わたしが前の知事の欲深で利を求めるのに嫌気がさして、自分のしごととして鍾乳を探しには行ったが、商品として売りに来なかった。

今度の知事さまはどうやらご立派なお方の様子。そこで本当のことを告げに来た。・・・・・・のかも知れませんぞ。

そもそも

夫乳穴必在深山窮林、氷雪之所儲、犲虎之所廬。由而入者、触昏霧、扞龍蛇、束火以知其物、攀縄以志其返。

それ、乳穴なるものは必ず深山窮林、氷雪の儲するところ、犲虎(さいこ)の廬するところにあり。よりて入る者は、昏霧に触れ、龍蛇を扞し、束火して以てその物を知り、縄を攀じりて以てその返るを志るす。

鍾乳洞というのは深い山の中、森の奥深く、氷や雪の蔽うところ、大きな虎・小さな虎の巣食うところにあるのですじゃ。それに入る者は真っ暗なじめじめした湿気に触れ、龍やらヘビを探り、たいまつを燃やして鍾乳を見つけ、縄をぐりぐりと回して帰り道の印にする。

そのような苦労をして集めてくる鍾乳が、自分で納得できる値段で売れなければ、「採れなくなった」という・・・かも知れんではないじゃろうか?

いや、もしかしたら、ということを言うたまで、で、ほんとかどうかは知りませんじゃよ」

識者、これを聞いて曰く、

君子之祥也、以政不以怪。

君子の祥や、政を以てして怪を以てせず。

まともなひとがいう「奇跡」というのは、政治によって為すもので、不思議な怪談話ではないのである。

誠乎物而信乎道、人楽用命、熙熙然以効其有。斯其為政也、而独非祥也歟。

物に誠にして道に信なれば、ひとは楽しんで命を用い、熙熙然(ききぜん)として以てその有に効う。すなわちそれ政を為すや、ひとり祥にあらざらんや。

他者に対して誠実で、のっとるべき道を信じて行動する人がいれば、ほかのひとは喜んでその人の言いつけを聞き、にこにこしながら、自分の得た物をその人の所有にしてもらおうとするであろう。立派な政治によってそうなるのであれば、それもまた奇跡というべきではないだろうか。

と。

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唐・柳子厚(宗玄)「零陵郡復乳穴記」(「古文辞類纂」巻五十四所収)より。

鍾乳洞は冬も暖かいからいいすよね。

 

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