平成23年12月17日(土)  目次へ  前回に戻る

 

一週間やっと終わりましたわー。

みたいなことを書いて、それから書きたいことを半分ぐらい書いたんです。そしたら、突然強制終了した。

「淮南子」を引きながら、藤堂明保先生をアサヒ型知識人として嘲笑する内容でしたので、ヤラれたのかも知れません。

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ケチがつきましたので方針を変えます。

唐の乾符年間(874〜879)のことと申しますが、揚州広陵の名刹・開元寺に、貧しい文人とみえる男が現れて、一夜の宿を乞うた。

しかし寺僧は、男が誰の紹介状も持っていないのを理由に宿泊を断った。

男がその晩どこで夜を過ごしたかは知らないが、次の日の朝、寺の門に一詩が書きつけられておりましたんじゃ。

龕龍去東涯、  龕(がん)の龍は東の涯に去り、

時日隠西斜、  時の日は西に隠れて斜めなり、

敬文今不在、  敬うの文は今あらず、

碎石入流沙。  碎くの石は流沙に入る。

「龕」は礼拝用のものを納める箱をいう。「厨子」。

「さて、これはどういう意味であろうか」

僧衆皆不解。

僧衆みな解かず。

僧侶どもは意味がわからず、みな首をひねっていた。

が、ある若い僧、にやにやしながら、

「わたしもそう思うときもあります。が、まあ、気にせず放っておきなされ」

と言うたのだ。

先輩の僧侶ども、

「おまえには、この詩の意味がわかるのか?」

と詰め寄った。

「はあ・・・・各句の一文字目と二文字目をようく見比べてみなされ・・・」

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明・馮夢龍編「智嚢全集」巻十八より。答えは下らんので明日にでもそっと教えてあげましょうぞ。

 

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