平成23年9月1日(木)  目次へ  前回に戻る

 

明日はまたいやだなあ・・・。

えー、気を取り直しまして、ためになるお話を一つ。

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後漢最後の皇帝・献帝の宮中に、荀悦という侍講(天子に学問を講じ、その政治を正す役割の学者)がおりました。彼が、政権の日に日に曹氏に移っていくのを感じ、忠誠を尽くさんとしても尽くすすべなきことを憂いて、その思想を五巻の書に記して後の世の賢者に遺した。その書が古来、帝王を補佐する臣下の重要な参考書とされる「申鑒」でありまして、戦国の荀卿の著した「荀子」に対して、これを「小荀子」ともいうのでございます。

その「申鑒」雑言篇にいう、

進忠有三術。

忠を進むるに三術あり。

真心を以て(君主の政治を正すように)進めていくには、三つのやり方がありますのじゃ。

この「術」は、「権謀術数」的な意味の「術」ではありません。「ノウハウでなければ智慧ではない」と思いこんでしまっているみなさまには残念ながら。普通に「方法」とか「やり方」と訳すべきものです。

三つの「術」とは何ぞや。

一 防

二 救

三 戒

である。

先其未然謂之防、発而止之謂之救、行而責之謂之戒。防為上、救為次、戒為下。

そのいまだ然らざるに先んずる、これを「防」と謂い、発してこれを止める、これを「救」と謂い、行いてしかしてこれを責むる、これを「戒」と謂う。「防」は上と為し、「救」は次と為し、「戒」は下と為す。

(悪いことが)まだ起こらないうちに先んじ(君主にそんなことにおちいらないように仕向け)るのを「防ぐ」といいますぞ。起こったときにこれを止めさせるのを「救う」といいますぞ。やってしまったあとから注意して二度としないようにさせるのを「戒める」といいますぞ。「防ぐ」のが一番よく、「救う」のがその次、「戒める」のは一番悪い方法じゃ。

「当たり前だ」

とおっしゃらず、考えてみてくださいよ。「君主」は「自分」と読み替えていいのですから。

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「防災の日」でございましたので、「防ぐ」「救う」「戒める」の三つのことに思いを致してもらおうと思いました。

もちろん、「防ぐ」が一番いいわけですが。

古楽府(古代の歌)の「君子行」(えらいおとこのうた)に言う、

君子防未然。  君子は未然に防ぐ。

不処嫌疑間。  嫌疑の間に処せず。

瓜田不納履、  瓜田に履を納れず、

李下不正冠。  李下に冠を正さざるなり。

 えらいおとこは(わざわいが)起こる前に手を打つものじゃ。

 あいつ変だと疑われるようなところには行かぬ。

 瓜の田に足踏み入れ(、くつひもを直す姿を)瓜泥棒だと疑われるようなことはしないし、

 すももの木の下で冠を直して、すもも泥棒だと疑われるようなこともせぬ。

と。

これが「李下瓜田」の四字成語の典拠です。

痴漢冤罪でやられないためには、電車に乗らなければいいのだ、ということだ。会社に行くからいけないのだ。よし、わたし明日から「会社に行かない」を実行してみますので、わたしがやったらみなさんも真似してみてください。

 

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