平成23年7月25日(月)  目次へ  前回に戻る

 

明の時代から祝枝山先生が来た。

わしが「世の中のみなさんは、月曜日からたいへんですなあ」と言いますと、先生頷かれて曰く、

世途開歩即危機、  世途に歩を開けば即ち危機、

魚解深潜鳥解飛。  魚は深く潜むを解(よ)くし鳥は飛ぶを解くす。

欲免虞羅唯一字、  虞の羅を免れんとすればただ一字なり、

霊方千首不如帰。  霊方千首も帰るに如かず。

 世間様の道を歩こうとすれば、そこかしこに危険なワナだ。

 だから魚は淵の底深くに潜むことを覚え、鳥は空飛んで逃げることを覚えた。

 かりうどのかすみ網から逃れようとすればただ一言、

 どんな妙薬の処方箋より、「帰る」にしかぬ。

この「帰る」は職を放り出して帰郷することをいう。

「しかし、たとえ生計が立ったとしても、いなかに帰ってもイヤなことばかりですからなあ」

いつも、

なぜおれはこれなんだ、

犬よ、

青白いふしあはせの犬よ。(萩原朔太郎「悲しい月夜」(「月に吠える」所収))

とくちずさむと、先生は

「そうかもね」

と言うた。

そこでわしが

詩が常に俗衆を見くだし、時代の空気に高く超越して、もつとも高潔清廉の気風を尊ぶのは、それの本質に於いて全く自然である。

というと、先生は

詩を作ること久しくして、益々詩に自信をもち得ない。私の如きものは、みじめなる青猫の夢魔にすぎない。(「青猫・序」)

と嘆息した。

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だめだ。スランプだ。もう寝ます。

 

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