平成22年10月18日(月)  目次へ  前回に戻る

みんな、おれのことを馬鹿にしやがって・・・。おれだってこんなステキな話をたくさん知っているのだ・・・・。

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湖南の武陵の人民、張二という者、娘を嫁にやった後の日、村の衆を呼んで祝いと嫁入りの手伝いのお礼に飲食を振舞った。

招ばれた者の中に鄭二とその女房がいたのだが、この鄭の女房というのがなかなか男好きのする女で、村の寺に住む王和尚(さすがにこの席には呼ばれていないが)という僧と不倫している、ともっぱらのウワサである。

酒たけなわになったころ、たまたま鄭の女房、箸を床に取り落とした。張の妻は娘の結婚という行事が終わった開放感も手伝ってか、ついつい

定有好事。

定めて好事あらん。

何か「いいこと」がおありなのかしら?(そのことに気をとられて箸を取り落としたんじゃないの?)

と声をかけたのだった。

「あら? どういうことですの?」

「ぶははー」

張の妻はもうがまんできない、というふうににやにやしながら言うた。

別無好事、只是箇光頭子。

別に好事無し、ただこれ箇の光頭子。

何か「いいこと」があるわけじゃないわよね、あのハゲ頭のことが気になったのよねー?

そして、とうとう言うたった、と誇るかのように

「ぶひひひー」

と笑った。

一座、大いに騒ぎ、みな大笑いした。鄭の女房は目をぎらぎらさせて驚きと怒りで張の妻を見つめたが、満座で「寝取られ」を笑われた鄭二の方も屈辱でぶるぶる震えた。

と、そこへ、部屋の外から小者が一人やってきて、張の妻に何か耳打ちをした。張の妻はうなずき、座を立つようである。

「一体どうしたのじゃ?」

「誰かおみえになるとでもいうんかい?」

とひとびとが訊ねると、

「すぐ戻ってまいりますわよ。実は

王闍黎典袈裟在我処、将来贖。

王闍黎、袈裟を典して我が処にあり、まさに来たりて贖わんとす。

お噂の王和尚さん、お袈裟をうちに質入しておられますの。ちょうどこれからお金を持って請け出しに来たい、ということですのよ。」

と答えたので、またみんな大笑いしてチャンチャカと小皿を叩いて大騒ぎした。

鄭夫妻はあまりの屈辱に耐え切れず、席を立って家に帰った・・・。

さて、鄭も張も、この村の「義勇」すなわち民兵であった。

鄭は家(といっても本当に一里(600メートル)かそこらの近所なのだが)に帰りつくと、壁から戦闘用の大刀を取り、取って返して張の家の門前で

「出てこい、張!」

と叫び声を上げた。

張もそこそこ酒が回っている。憤怒の顔をして飛び出してきて、

爾家作如此事。我請爾酒食、却提刀上門罵我。

爾の家かくの如きの事をなす。我、爾に酒食せんことを請うに、却って刀を提さげて門に上りて我を罵るか。

おまえの家がしていることを言われただけではないか。わしはおめえに酒とめしを出すから集まってくれ、と声をかけただけだに、おめえは何と刀を引っさげてわしの門のところに来て、わしをののしるのか。

とこれまた手にした抜き身の刀を担ぎ上げて躍りかかってきたので、

「くそ、きちげえめ!」

と今度は鄭が逃げ出す始末であった。

――――ほんとうの悲劇はこれから起こったのである。

家に戻った鄭は、八つになる自分の子がベッドで寝ているのを見つけると、

「わしの恥じをそそぐためにはしかたないのだ!」

と声を荒らげながら、

捽其首、断臂折裂脇以死。

その首を捽(き)り、臂を断ち折り、脇を裂きて以て死(ころ)す。

子どもの頭に切りつけ、その腕を斬りおとし、わき腹を裂いてはらわたをずたずたにして、殺した。

そして、夜中に村長(「里正」)の屋敷に駆け込み、

張二、殺我児。

張二、我が児を殺せり。

張二が、わしの子どもを、こんなすがたにしおったのじゃ!

と訴え出たのであった。

翌日、県庁から主簿(参事官)の李大東というものがやってきて、取調べを開始した。

まず、子どもの死骸を検屍し、その殺し方の残虐なのに驚き、すぐに張二を召し出してきつく詰問したが、張二は昨晩鄭二と争ったことまでは認めたものの鄭の子どもの死んだことは知らないと言う。

李大東が関係者を内偵させると、下役の者が鄭の妻が思いつめたように言うている独り言を聞きとがめてきた。

鄭の女房は、ぶつぶつと

只有一子、為夫所殺。

ただ一子あり、夫の殺すところとなりぬ。

たった一人の子どもをさ、あんひとに殺されるなんてねえ・・・。

と呟いていたのだという。

李大東、鄭の女房をしめあげて、子どもを殺したのは鄭であることを突き止め、次のような裁断を下した。

○鄭二は子殺しと他人を誣告した罪で入れ墨の上、他国に流罪。

○張二夫婦は鄭の怒りを煽った罪で、杖で打たれること二十。

○鄭の女房と王和尚は、不倫の罪で杖で背中を打たれること五十づつ。

さてさてみなさん、おわかりかな。

以酒席言謔之故、致禍如此。

酒席の言謔の故を以て、禍いを致すことかくの如し。

お酒の席でふざけてからかったことから始まって、このように関係者に禍いを引き起こすことになったのである。

お酒の席でも気をつけねばなりませんぞ、気をつけねばなりませんぞ。

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南宋・洪容斎先生「夷堅志」支景巻十より。いかにもチュウゴクらしい事件、といえばそれまでですが・・・、

「夷堅志」は全巻、このような名作ぞろいの奇跡的な名著です。ああほんとにおもしろい。みなさんも内容を知りたいだろうなあ、とつねづね思っているのですがわたくしは滅多に紹介していません。これは、誰も「ぜひ紹介してください」と言わないからである。みなさんが・・・いや、おまえたちが頭を下げさえすればいろいろ教えてやろうというのに、逆に馬鹿にしやがるというんだからな。ひひひ、こうなったら復讐だ。復讐してやるぜ―――

 

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