平成22年6月30日(水)  目次へ  前回に戻る

晩明の文章を読みましょう。

苦竹記(苦い竹の記)

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江南多竹、其民習於食筍。

江南多竹、その民筍を食らうに習う。

江南の地方には竹が多く、その地の民はタケノコを食用としているのでございます。

タケノコは、毎年、春になるとその芽(「苞甲」)を土の中から出してまいります。角のようなその芽が、蚕の繭か栗の実ほどの大きさになったところで採って食べるのでございます。あるいは湯で蒸し、あるいは茶の葉を添えて茹でて食う。

好きなひとは清らかな味わいを楽しむものですから、どこかの屋敷の中庭にこんもりと美しい竹林があり、その家の主人がいかにその竹を愛し、大切にして、垣根を何重にもめぐらし扉を固く閉ざしていても、

及其甘於食之也、剪伐不顧。

そのこれを食らうに甘きに及びては、剪伐顧られず。

「あそこのタケノコは美味い」ということになりますと、根元のタケノコは掘られ放題になってしまう。

しかし、

独其味苦而不入食品者、筍常全。

ひとり、その味苦くして食品に入らざるものは、筍常に全うさる。

「あれの味はニガくて食い物にはできぬ」といわれますと、そこのタケノコは放っておかれて安全である。

谷間や岩がちの丘にたくさんあって、誰にも掘られずに放っておかれているやつらは、必ず苦くてどうしようもないやつらなのです。美味いやつらは採取されてそのグループは根こそぎ食われてしまったりする。

おお。ということは・・・・

美味いやつらは自らを傷つけているのと同じであり、苦いやつらは世の中から棄てられているけれど、生き残っている、ということではありませんか。

夫物類尚甘、而苦者得全。

それ、物類は甘きを尚(たっと)ぶ、しかして苦きは全うするを得たり。

物のたぐいは美味いほうが貴ばれるものでございます。ところが、苦い方が生を全うすることができる、ということだ。

世の中、貴い物が選ばれ、賎しい物は棄てられる。とはいえ、選ばれるものは幸いならず、棄てられるものこそ幸いなることあれ。

これぞ、荘子のいう「無用之用」(役に立たない、ということが役に立つ)ということではございませんか。

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荘子(逍遥遊篇)にいう―――

恵先生が言うた。

「魏の王様がわしにタネをくれた。植えてみたら大きなひょうたんが成った。その大きさは五石にもなったので、これをくりぬいて水筒にしようと思ったが、水を入れると持ち上げることもできぬ。それでは、と二つに割って水を汲むひしゃくにしようと思ったが、平ぺったくて大きいくせに汲める水はほとんど無い。なんとも役に立たぬものなので、わしは棄ててしまった。」

荘先生が言うた。

「おまえさんは本当に「大いなるもの」を使うのが下手くそじゃなあ。おまえさん、あの宋の国のひとの話を知らぬのか。その宋の国のひとはなあ・・・(・・・ここで有名な「不亀手の薬」というたとえ話がなされますが省略)・・・。

おまえさんは、どうして、五石のひょうたんを持っていたのなら、それを樽にしてその中に入って大きな川・湖に浮かんでみよう、と思わなかったのかね。水を汲もうとしてほとんど汲めなかった、などというて棄ててしまうとは、おまえさんは本当に心に草ぼうぼうのわからず屋じゃなあ。」

恵先生が言うた。

「わしは大きな木を所有しておるが、これは「樗」という木で、幹にはこぶが多くて墨縄を当てて棟木にするわけにもいかぬし、小枝はぐにゃぐにゃと曲っていて物差しを当てて材木にすることもできぬのじゃ。だから人通りの多いところに立っているのに大工は見向きもせぬ。今、おまえさんの言葉を聴いたが、大きくて無用なものは結局のところ、みなそれを避けるものではないか。」

荘子が答えた。

「おまえさん、タヌキやネコのことを考えたことがないのかね。やつらは身を低くして伏し、襲い掛かってくる者がいないか注意しながら、右に左に飛びはね、高いところにも低いところにも自由に行くのだが、それでもワナにかかり、網に捕らえられて死んでしまうのだ(。注意深いこと、敏捷なことが何の役にも立たないこともあるのだ)。一方、あの大きなウシを見たまえ。あれは大きくてまるで天から降りてきた雲のようではないか。しかし、あれほど大きくても、やつはネズミを取る、という役目から見れば無用のものではないか。おまえさんが大きな木を所有しているというのなら、その役に立たないことを憂えていないで、

何不樹之于無何有之郷、広莫之野、彷徨乎無為其側、逍遥乎寝臥其下。

何ぞこれを無何有(むかう)の郷、広莫(こうばく)の野に樹え、彷徨してその側に無為にし、逍遥してその下に寝臥せざる。

どうしてその木をかの「どこにも無い地」の「果て無き広野」に植えて、そのまわりを無意味にさまよい歩き、ふらふらとその木の根元に寝転がってしまわないのか。

不夭斤斧、物無害者、無所可用、安所困苦哉。

斤斧に夭せず、物として害する者無く、用うべきところ無きは、いずくんぞ困苦するところならんや。

ちょうなやオノで切られて滅びることもなく、どんなものにもそこなわれず、どこかに使われることもない。そんなものであることのどこが困ったことなのであろうか。」

―――何の役にも立たぬ無用のものこそ、実はまことの役に立つ、ということでございます。

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わしの官舎の西南の隅に竹のひとむらがございます。破れた壁の間から飛び出していて、出入りも自由。垣根がめぐらされたり扉が重く閉ざされている、ということはございません。なのに、谷間や岩がちの丘にちらばって放っておかれてるやつらと同じように、人に掘り取られるという心配のまったくないやつらです。苦いので生き残ることができ、それが当たり前のように生きているやつらなのです。通り過ぎるひとたちは指差して「苦そうな竹だね」と言いながら通り過ぎて行く。

わしは「荘子」を読んで、その言の味わい深きをしみじみと知りました。

感而為之記。

感じてこの記を為す。

感動して、この文を書いたのです。

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陸樹声の文です。民国の施蟄存の編した「晩明二十家小品」による。

陸樹声は字を与吉、号を平泉といい、はじめ林氏を名乗った。官は太子小保に至ったがその性は狷介、役人になって六十年生きたが、そのうち実際に役職をもらっていたのは十年内外しかなかった。あるとき朝廷に出勤したところ、自分の席(座布団)がわずかに歪んでいるのを見て、じっと見つめたまま座ろうとせず、それに気づいた宰相の張居正がおもむろに席を直してやってはじめて座ったという。

萬暦の終わりに年九十七で卒した。「苦竹」というのはもちろん自分の生き方を喩しているのであろう。羨ましいことですなあ。

ところで「無何有の郷」「広莫の野」に行ったことはありますか。行ったことない人は、どうして行かないのか。わたしは行ったり来たりしているからいいのですが、まだ行ったことの無いひとはぜひ行ってみてください。

 

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