平成22年6月29日(火)  目次へ  前回に戻る

思うところもあるので、張思叔「座右銘十四則」を紹介しておきます。

1.凡語必忠信。(およそ語は必ず忠信。)

ことばにはすべて真心がこもり、誠実でなければならぬ。

2.凡行必篤敬。(およそ行は必ず篤敬。)

行いはすべて篤実で、他人への配慮のあるものでなければならぬ。

3.飲食必慎節。(飲食には必ず節を慎む。)

  飲み食いに関してはいつも節度を持たねばならぬ。

4.字画必楷正。(字画においては必ず楷正。)

  文字を書くときは、いつも楷書で正しく書かねばならぬ。

5.容貌必端荘。(容貌は必ず端荘。)

かおかたちはいつも端然として荘重にしておらねばならぬ。

6.衣冠必粛整。(衣冠は必ず粛整。)

身だしなみはいつも厳粛できっちりとしていなければならぬ。

7.歩履必安詳。(歩履は必ず安詳。)

  歩くときはいつもゆっくりと、足元を確かめて行かねばならぬ。

8.居処必正静。(居処には必ず正静。)

すわっているときはいつも姿勢正しく静かにしておらねばならぬ。

9.作事必謀始。(事を作(な)すには必ず始めを謀れ。)

  何かを為さんとするときは、必ず手順を考えてから行うのだぞ。

10.出言必顧行。(言を出だすには必ず行いを顧みよ。)

  何かを言おうとするときは、必ず自分の普段の行動を顧てから、言え。

11.常徳必固持。(常徳は必ず固持せよ。)

  ひととして持っていなければならない徳目については、いつも手放してはならない。

12.然諾必重応。(然諾には必ず応を重んぜよ。)

  「わかった」と言うときは、必ずどう対応すればいいかを重視せよ。

13.見善如己出。(善を見ては己れに出づるが如くせよ。)

  誰かの善いことを見かけたら、自分でそれをしたかのように大切にせよ。

14.見悪如己病。(悪を見ては己れの病めるが如くせよ。)

  誰かの悪事を見かけたら、自分の病気であるかのように何とか治そうと努めねばならぬ。

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南宋の大儒・朱晦庵が古代以来の古書や賢者の言行から選んで編んだ「小学」(「朱子小学」)巻五より。

「小学」というのは「大学」が「大きい学」であって、天下国家のことや宇宙天地のことを説く学問であるのに対して、「小さい学」すなわち、自分の身の回りのこと、人としてどう生きればいいのか、といった問題について学ぶことをいいます。その「小学」の勉強のテキストとして編集されたのが「朱子小学」です。我が敬愛する朱晦庵先生は、後世「朱子」などというて理を以て人を殺す類のリゴリストのように思われておりますが、こういう教材用のテキストを次々と編集し、自分の系列の学者たちの主宰する私塾などで使わせるため印刷していた教育企業家の一面がありますので、なかなか「道学先生」などと侮れないところがありますのじゃ。

張思叔は名をといい、北宋の河南・寿安のひと。程伊川の弟子である。

ちなみに、この「十四則」は、張思叔が、「すべてのひとがこうするべきだ」というて書いたのではありません。「座右銘」ですからね。「座右銘」というのは、己れの普段座る席の右側に彫り付けておくコトバ、ということですから、自分にだけ見えればいい。自分が守るべきことである。

ただし、この十四則については、

皆日用切要之事、人之不可離者、其工夫以誠敬為主。此程門教人心法。学者所常佩服而深省也。

みな日用切要の事、人の離るべからざるもの、その工夫、誠敬を以て主と為す。これ程門人を教うるの心法なり。学者常に佩服(はいふく)して深省するところなり。

すべて、毎日日常的に出会う、切実で肝要な問題ばかりである。すべてひとがそこから離れていることのできない大切なことばかり、そしてこれらのことを行うに当たって主として動くのは、「誠実であること」と「他者を敬うこと」という心のはたらきじゃ。これこそが程先生の門下に伝えられた精神修養法である。ひとの道を学ぶ者はいつもこれらを腰に帯び、身に着けて、深く思わねばならないことですのじゃぞ。

と清の張伯行が、「人」「学者」はみんな深省しなければならないことばかりである、と言っております。

そうか、「人がそこから離れていることのできないこと」なのか。

しかし、われらはこのひとたちのいう「人」に該たるのか、このひとたちのいう「学者(学ぶ者)」に該たるのか、については、今この場所で自分で考えてみるしかないのでございます。

 

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