平成22年7月1日(木)  目次へ  前回に戻る

今年も半分過ぎました。7月まで生き抜いてきた記念に。

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嘉慶年間(1796〜1820)のことですが、山東半島の付け根近くにある海州の大伊山の山中に

有千年蜘蛛。

千年蜘蛛あり。

千年生きているという巨大なクモがいた。

このクモをはっきり目にしたひとはほとんどいなかったのだが、それでもなぜその大グモがいるということがわかるかというと、このクモは時にどす黒い気(ガス)を吐き出すのであり、実際にその気が山中の谷の上などに見えることがあるからである。

山民たちはこの気を見ると風向きを確認し、もし自分たちの方に流れてきそうだと判断すると家に閉じこもって扉や窗を締め切ってしまう。逃げ込むべき家の無い通行人は大急ぎで側の家の垣根に頭を突っ込んだり、土塀にぴったり顔をつけて、とにかく黒い気を吸い込まないようにする。黒気が毒であると信じているからである。

これぐらい気をつけていたおかげでこの地方では、一度も黒気の害で死人が出るようなことはなかった。

あるいはこのクモは

幻作老人、形如村学究、喜与嬰児嬉戯。

老人に幻作し、形は村学究の如く、嬰児と嬉戯するを喜ぶ。

時に老人に化けて現われるのである。その姿は田舎者の老学者のようで、赤ん坊を見つけては、うれしそうにこれとふざけあって遊んでいる。

人尽見之、習以為常、並無他害。

ひとことごとくこれを見るも習い以て常と為し、並びに他害無し。

村人らは誰も彼もこの老人を見たことがあるそうだが、あんまりにもいつものことなので特に気にしない。これ以外には大グモは別に悪さをするでもなかった。

―――ちょっと待った。本当に千年も生きていたクモがいたのかどうか、誰も実際には見ていないのではないか?

と思うでしょう。

ところが、この伝説の大グモが、一度だけ多くの村人たちの目に見られたことがあったのである。

それは嘉慶十三年(1798)の七月のことだった。

白昼、突然どす黒い雲が空一面に沸き立ち、まるで黄昏のように暗くなるとともに、大伊山の周辺に大いに雷雨があった。

雨激しく風どよめき、電光ものすごく処々にすさまじい轟音とともに落雷する。

その中で、建物の中に逃げ込んだひとびとは、黒雲の中に、二匹の龍の姿を見た。

「ひい、龍じゃ」

「おそろしや」

村人たちは恐怖の眼を以て龍の暴れ狂うを見ていたのだが、雨風一段と強まったとき、山の頂近くの岩の上から

蜘蛛吐糸布網、縛両龍。

蜘蛛、糸布の網を吐き、両龍を縛る。

かの大グモが巨大な糸の網を吐きだして、二匹の龍を縛り上げてしまったのだった。

二匹の龍は身動きもとれずにもだえ、山も大気も震動し、ために川の水が逆立って流れるほどであった。

半時ほども大グモと二匹の龍は激しく引き合っていたが、二匹の龍に呼ばれたものであろうか、さらに二匹の龍が山向こうから現われ、その口から突然炎を噴き出した。

そして、その炎で、

焚其網、前両龍始遁去。

その網を焚き、前の両龍始めて遁去す。

クモの網を焼ききったのである。捉われていた方の二匹の龍はこれでようやく自由になって、どこかに逃げ出してしまった。

残った二匹の方はしばらく大グモとにらみ合っていたが、やがて彼らも引き上げて行き、大グモも岩の上から身を隠したのだった。

―――と見る間に雨収まり雲散じ、空は青々と晴れ、先ほどまでの雷雨が、まるで夢であったかのように初秋の陽射しがかんかんと照りわたったのだ。

しかし、村人たちは数十里の間にわたって、不思議なものが落ちていたのを見つけて、自分たちが幻を見ていたのではないことを思い知った。

その「もの」は、

蛛糸。大如人臂、其色灰黒、其質堅膩。

蛛糸なり。大いさ人の臂の如く、その色灰黒、その質は堅膩(ジ)なり。

クモの糸だった。その太さは人の腕ほどもあり、色は黒ずんだ灰色、手触りは固まった油脂そのものであった。

これらはすべて一丈とか数尺ぐらいに寸断され、両側はすべて焦げ迹が残っていたのである。

真奇事也。

真に奇しきことなり。

ほんとに不思議なことである。

その後も赤ん坊と遊ぶ老人の姿は時折に見られたのだった。

ところで、大伊山は海州の府城から東南に四十里にあり、秦漢時代に伊閭山と呼ばれた地で、楚の項羽の部下であった鍾離昧の家郷があったところという。

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このクモは山の守り神だったのでしょうね。それにしても、ほんとならほんとに不思議なことですが、しかし田舎者どもが言っていることだからどうですかねえ。銭台仙「履園叢話」巻十六より。(も参照のこと)

 

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