平成22年6月4日(金)  目次へ  前回に戻る

←東北最大! 100メートルの仙台大観音さま! 海抜は300メートルぐらいになるそうです。一見すべし。

明の謝在杭さんが言います。

・・・・・・・・・・・・・宋の岳珂志」に記されているところでは、

姑蘇民唐姓者、兄妹倶長一丈二尺。

姑蘇民の唐姓なるもの、兄妹ともに長一丈二尺なり。

姑蘇の人民で唐という姓の兄妹がいて、兄も妹もどちらも背丈は一丈二尺あった。

というのである。

宋代の一丈は3.07メートル、一尺はその十分の一ですから、一丈二尺は・・・おお、3メートル60センチ超じゃ。

我が明朝においては、西域から来たひとで、

長一丈一尺、腰腹十囲、其妹亦長丈許。

長一丈一尺、腰腹十囲、その妹また長丈許なるものあり。

背丈は一丈一尺、腹回りは十抱えもあるひとがあった。そのひとの妹もまた背丈は一丈ばかりであった。

そうである。明代の一丈は宋の一丈より数センチ長かった(310センチぐらい)だそうですから、このひとは3メートル40センチぐらい。妹さんは310センチ前後ということになる。大したものである。

以上は直接に見たものではないが、

余親見文書房徐内使者、長可九尺許。

余親しく文書房の徐内使なる者を見るに、長、九尺許(ばか)りなり。

わしがこの目で見た、宮中の文書房の徐という内使は、その背丈九尺ほどであったのじゃ。

2メートル80センチぐらいである。「内使」というから宦官であった。

わしが、科挙試験に合格して、はじめて宮中に入り、関係する官署に諸部の郎たちと挨拶に行ったとき、

徐自内出、望之如金剛神焉。

徐、内より出づるに、これを望めば金剛神の如きなり。

徐が中から出てきたのを見ると、まことに金剛力士(=仁王さま)のようであった。

刑部の郎官に従っていた刑曹の徒など、

見之而悸、溺下不禁。

これを見て悸(おどろ)き、溺下して禁ぜず。

その姿を見て驚き恐れ、小便を洩らしてしまって止まらなかったものである。

ということで、

目中所見長人、此為之最。

目中見るところの長人は、此れこれを最と為す。

この目で見た中のでかいひとは、このひとが最大であった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「五雑組」巻五より。でかいひと、かっこいい。

 

表紙へ  次へ