平成21年11月9日(月)  目次へ  前回に戻る

店の外には冷たい雨が降り始めているようだ。

わしは、明日、都に帰るという友を送別するためにこの店に入ったのである。

歌姫が歌う、

外はしとしと 冬の雨

明日はおまえも 旅の空

あたいの心を 凍らせて 

この壷の中に 入れといた

この壷は玉の壷 

長いの旅の間にも氷が解けることはない

この壷を 旅のみやげに

あのひとに 渡しておくれ

あのひとは あたいの心に

息吹きかけて くれるだろうさ ・・・

「やや」

わしは既に酔うていたからであろう、歌姫に言うた、

「これ、それは、わしの「芙蓉楼に辛漸を送る」の詩ではないか」

わしは立ち上がって、その元歌をだみ声はりあげて歌うたのであった。

寒雨連江夜入呉、  寒雨 江に連なって、夜 呉に入る。

平明送客楚山孤。  平明 客を送れば、楚山 孤なり。

洛陽親友如相問、  洛陽の親友 如(も)し相問わば、

一片氷心在玉壷。  一片の氷心 玉壷に在り、と。

 冷たい雨が長江に降りしきる夜、われらは呉(楊州)の町までやってきた。

 明日の朝には客人を送別して、いにしえの楚の国(江南)の山(←自分を喩える)はひとりぼっちになることであろう。

 きみがこれから帰る洛陽には、ぼくの親友がたくさんおる。もし彼らがぼくのことを問うたら、

 「玉製の壷の中に氷った心がある」ように、澄み切った風情であった、と伝えてくれ。

「「唐詩選」にも入っておるのだぞ。わしの真似をするとは怪しからん歌姫じゃな」

と無作法にも怒鳴り散らすと、歌姫の方もキれました。

「うるせえんだよ、王昌齢さんよ。おまえさんの「一片の氷心、玉壷にあり」だって、人まねじゃあないか」

「む、むむう」

これは本当なのです。

「玉台新詠」巻四、南朝宋の鮑照「白頭吟に擬す」にいう(「文選」にも収む)、

直如朱糸縄、  直きことは朱の糸の縄の如く、

清如玉壷氷。  清きことは玉の壷の氷の如し。

何慙宿昔意、  何ぞ慙(は)じん、宿昔の意に、

猜恨坐相仍。  されど猜恨はそぞろに相仍(よ)れり。

人情賤恩旧、  人情は恩旧を賤しみ、

世議逐衰興。  世議は衰興を逐うものなれば。

・・・・・       ・・・・・・・

 あたいの心はまっすぐで、朱色に染めた糸の縄

 あたいの心は清らかで、玉壷の中の氷のようさ。

 昔からのあんたとの仲からみても批判されるようなことは無い。

 なのに、疑いや恨みは次々とやってくるものなんだね。

 ひとの心は長い付き合いのある方を軽んじ、

 世間の評判は誰それはもう衰えた、これからは誰それの時代だと追いかけるばかり・・・・

という、男に捨てられた女の(ふりをして歌った)歌の、第二句をいただいたものなのでした。

わたくしども唐の詩人は六朝の詩人の言葉を使うことが多い、というか、六朝の詩人にインスパイアーされて作っているのが多いのです。

「む、むむう・・・おっしゃるとおりでございます」

とわしは歌姫に謝りました。

歌姫は、

「あははは、わかってもらえりゃいいんだよ。黙ってあたいの歌を聴いておくれ」

と言いまして、また抱えた琵琶を掻き鳴らした。

何を沈み込んでいるんだね、おまえさん、

それよりあたいの琵琶を聴いてよ。

月を抱いたら明るくなれるだろう

風を抱いたら清々しくなれるだろう

こいつの絃を叩けば思いは伝わるし

こいつに飾りつけた花模様の中からは情けがあふれ出す

抑えつけた声は不思議な気分にするし

悲しげな声は誰もが振り向くんだよ

こうやってあたいの袖でこいつを払ってやると

こいつにも生まれてきた甲斐があるってものさ。

「これ、あんた、それは梁の王元長「琵琶を詠ず」ではないかね」

とわしが言うと、歌姫は

「あら、そうでしたかしら、おほほほー」

とうそぶくのであった。

詠琵琶

抱月如可明、  月を抱けば明かにすべきが如く、

懐風殊復清。  風を懐けばことにまた清らかならん。

糸中伝意緒、  糸中に意緒を伝え、

花裡寄春情。  花裡に春情を寄す。

掩抑有奇態、  掩抑すれば奇態有り、

凄愴多好声。  凄愴なれば好声多し。

芳袖幸時払、  芳袖さいわいに時に払うべし、

龍門空自生。  龍門に空しく自生せず。

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陳の徐陵(字・孝穆。507〜583)が梁代までの詩歌を集めて編んだ「玉台新詠集」を、といいますか、六朝の五言詩を読むと作詩者たちの心が真っ直ぐだからでありましょうか、「あたい」とか「おいら」という一人称で訳せるし、わかりやすくて、心がすさんだときには読みたくなるのさ。

我が平安貴族が争って読んだそうだから、われらの心情の中にもいくばくかの影響を遺しているのは確かであろう。

 

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