令和2年9月13日(日)  目次へ  前回に戻る

日本かどこかの夜明けぜよ!

ついに超キツイ週がはじまる!

あんまりキツそうなんで、肝冷ネズミも逃げました。わしは肝冷斎の「残存思念波」じゃ。薄れいく意思の中で文章を綴っているんじゃ・・・

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科学の進んだゲンダイではそうではないと思うんですが、清の初めごろは、

日之初出、其体甚大。

日の初めて出づる、その体はなはだ大なり。

太陽が出てくる時、その本体はものすごく大きい。

と言われていましたんじゃ。

かつて泰山の山頂で道士の指導のもとで、太陽の気を吸収するため、日の出を見た。

鷄一鳴時見日始欲出、長三丈所。

鷄一鳴の時、日始めて出でんと欲するに、長さ三丈の所を見る。

ニワトリが最初に鳴いたとき、太陽は出てこようとするのを見るのだが、そのときは約10メートルぐらいの幅で見える。

一丈≒3.2メートルで計算しました。

ところが、

吾嘗舟出零丁、四更月上、忽見大洋東畔、湧出一山甚大。

吾かつて舟にて零丁に出づるに、四更に月上り、忽ち大洋の東畔に、一山の甚だ大なるもの湧き出づるを見る。

わしは、その後、舟で広東の零丁の海に出たことがあるのだが、そのとき、夜明け前に月が出たが、続いて突然、大海原の東の端に、巨大な山が一つ、湧き出してきたのを見た。

「津波? クジラ?」

色深紅、其形如覆半月。

色深紅にしてその形は半月を覆うが如し。

色は深い紅色、形は半月を上から伏せたようである。

「わははは」

舟人呼曰、日出矣。

舟人呼ばいて曰く、「日の出づるなり」と。

船乗りが笑いながら大声で教えてくれた。「日の出ですじゃよ」と。

已而漸升、尽出水、約之尚可三五十丈。比泰山所見乃益大。

已にして漸く升り、ことごとく水を出づるに、これを約すれどもなお三五十丈ばかりなり。泰山に見るところに比べてますます大なり。

だんだんと昇って、やっと全体を海の上に現したときにも、だいぶん小さくなってはいたが、それでも(直径)三十〜五十丈(100〜150メートル)ほどもあった。泰山で見たときに比べて、さらに巨大であった。

海の上だからか、南方だからか。おそらく後者であろう。

・・・とのこと。

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清・屈大均「広東新語」巻一より。地上近くの太陽や月が大きく「見える」というのは理解できるんですが、この「〇〇丈」という量り方はどれぐらい離れているつもりで言っているのか、わかりません。まあでも当時のひとたちには「感じ」としてわかるんでしょう。集合無意識みたいなものなのか。・・・ああ、わしの意識もだんだん薄らいでいく・・・明日はずっと意識を失ったままでいたいのう・・・。

 

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