令和2年8月16日(日)  目次へ  前回に戻る

おひつで食うとは、忍者も驚きの底なしの食欲である。

お盆も終わってしまいましたが、肝冷斎は帰ってきません。コドモである肝冷童子は進退窮まってきまちた。

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戦国の時代、韓の昭侯(在位前362〜前333)に堂谿公が訊ねた。なお、堂谿という姓はもと呉王家の出身で、楚に亡命した一派が堂谿を名乗ったということである。

今有千金之玉卮、通而無當。可以盛水乎。

今、千金の玉卮(ぎょくは)有りて、通じて當(とう)無し。以て水を盛るべきか。

「當」(とう)は「底」(てい)のことです。

「いまここに千金の値の玉製のさかずきがあったとします。しかし、これは上から下まで筒抜けになっていて、底がない。これに水を汲んでおくことができますか?」

昭侯は答えた、

不可。

不可なり。

「できない」

堂谿公は言った、

有瓦器而不漏、可以盛酒乎。

瓦器有りて漏らさざれば、以て酒を盛るべきか。

「土製の器があって、これは水漏れしないとすると、これにはお酒を汲んでおくことができましょうか?」

可。

可なり。

「できますね」

なんでこんなことにいちいち答えなければならないのか。イライラしてこないのでしょうか。

堂谿公は言った、

瓦器至賤也。不漏可以盛酒。雖有千金之玉卮、至貴而無當、漏不可盛水、則人孰注漿哉。

瓦器は至賤なり。漏らさざれば以て酒を盛るべし。千金の玉卮ありて至貴といえども當無く、漏れて水を盛るべからざれば、すなわち人だれか漿を注がんや。

土器は至って粗末なものです。しかし、漏れなければ(大切な)お酒を汲んでおくことができます。一方、千金の値の玉のさかずきは至って貴重なものですが、それに底が無くて水を汲んでおくことができないのでは、だれもそれに液体を入れておこうとは思いません。

さて、

今為人主而漏其群臣之語、是猶無當之玉卮也。雖有聖智、莫尽其術、為其漏也。

今、人主たりてその群臣の語を漏らさば、これ當無きの玉卮のごときなり。聖智有りといえどもその術を尽くすなきは、その漏るるがためなり。

もし君主が、臣下からの献策を得てそれを「あいつこんなこと言ってたぞ」とか「わしはこうしようと思っとるんじゃ」とかどんどん情報漏洩していたのでは、これは底なしの玉のさかずきと同じです。すごい智慧があるのにその政略がうまくいかないのは、漏洩してしまうからですぞ」

昭侯はおっしゃった、

然。

然り。

「なるほど」

昭侯はこれ以降、

欲発天下之大事、未嘗不独寝。恐夢言而使人知其謀也。

天下の大事を発せんとすれば、いまだ嘗て独寝せずんばあらず。夢に言いて人にその謀を知らしむるを恐るるなり。

重要な政策について公表する直前には、つねに一人で寝ることにした。寝言で意図を漏らして、寝所に侍った人に知らせるのを恐れたからである。

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「韓非子」巻十三「外儲説右上」より。一人で寝ていると睡眠時無呼吸でも誰も確認してくれないから苦しいかもしれませんが、自分の進退のことぐらいは自分で決めなければいけませんね。コドモとはいえ。

数十年前まで、「ハーバード経営哲学」が知られておらず、リーダー学が漢文古典に依拠していた時代には、権力を握るリーダ―は孤独に判断せねばならないのじゃ、という教訓としてよく引かれていた一節です。今のリーダーは「ハーバード経営哲学」でマニュアル化されているので楽チンでしょうけど、昔のリーダーはたいへんだったみたいですよ。なお、「ハーバード経営哲学」の内容については、そんな難しいことコドモにはわからないので、どなたか知っているひとが解説してくださるとうれちいな。

 

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