令和2年7月19日(日)  目次へ  前回に戻る

神と仏、どちらかぐらいはいるのでは。

昨日から現世から姿を滅しておりましたが、明日はまた平日か。

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明日はまた人間社会に戻らねばなりません。

人間社会では、

不好責彼、 彼を責むるを好しとせず、

務自省身。 自ら身を省みるに務めよ。

 他者を責めるのはよろしくはございません。

 自分の方に問題があるのだと反省してみなされ。

如有知此、 もし此れをを知る有らば、

永滅無患。 永く滅して患(うれ)い無し。

 そのことをよく知っていれば、

 やがて(因果は)永遠に消滅して、もう心配は無くなりますぞ。

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「法句経」第六則。というような生き方をして、耐え忍ばなければならないのだ。ツラいなあ、納得できないなあ・・・と思うのですが、しかしこの「法句経」の一節には、どうも漢訳者に誤訳があるようなのです。

友松圓諦師のサンスクリットからの訳(「法句経講義」講談社学術文庫版p62)を見ますと、

「わたしたちはここでやがて、死なねばならないのだ」

このことを他の人々は、ほんとうに気づかないでいる。

誰でも、もしこの事実を自覚するならば、その人には、もはや、あらそいというものがなくなってしまう。

と訳されています。

漢訳の「此れ」は、「他人責めるな己れを責めよ」という命題ではなくて、「わたしたちはここでやがて死ぬ」ということだったんです。そうか、それならもはや争いは起こりません。納得できますね。よし、明日はこれを人々に説いて、争い(やシゴト)を無くすことにしよう。みなさん分かってくれるかなあ。

 

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