令和2年6月5日(金)  目次へ  前回に戻る

おろち(左)と龍(右)図。もちろん龍は想像図である。また、おろちも見たことはない。

こつこつとやっと金曜日。だが、また来週が来る。

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戦国の時代、慎到先生がおっしゃった。

飛龍乗雲、騰蛇游霧。

飛龍雲に乗り、騰蛇(とうだ)霧に游ぶ。

空飛ぶ龍は雲に乗り、天に昇るおろちは霧の中にうねる、という。

彼らは雲や霧のおかげで空を行くだけであり、

雲罷霧霽、而龍蛇与螾螘同矣。則失其所乗也。

雲罷み霧霽(は)るれば、龍・蛇と螾・螘(いん・ぎ)と同じきなり。すなわちその乗ずるところを失えばなり。

雲が消え、霧が晴れあがってしまえば、龍やおろちといっても、ミミズやアリと同じなのだ。かれらに空を行かせた乗り物が無くなってしまったからだ。

故賢人而詘於不肖者、則権軽位卑也。不肖而能服乎賢者、則権重位尊也。

故に賢人にして不肖者に詘(くつ)せらるるは、すなわち権軽く位卑ければなり。不肖にしてよく賢者を服するは、すなわち権重く位尊ければなり。

これからみて、賢者がおろかものに威張られていることがあれば、それは賢者に権力が無く、地位が低いからであり、おろかものが賢者を従わせるていることがあれば、それはおろかものに権力があり、地位が高いからである。

堯為匹夫不能治三人、而桀為天子能乱天下。

堯は匹夫たらば三人を治むあたわず、而して桀は天子たればよく天下を乱す。

古代の聖なる王者・堯であっても、もしただのおっさんであったら、三人のひとさえ従わせることはできなかったであろう。一方、夏国の悪虐の王・桀は、ダメなやつでも王さまだったから天下を混乱させることができたのである。

ああ。

吾以此知勢位之足恃、而賢智之不足慕也。

吾これを以て、勢位の恃むに足り、而して賢智の慕うに足らざるを知れり。

わしはこのことから、勢力や地位が信頼できるものであり、賢いとか智慧があるとかいうことは求める必要のないものだと、認識しえたのである。

わーい、ルサンチマン的にはいいこと言ってますね。慎到先生のことばは、我々ごくつぶし系にはうれしいコトバだ。我々がダメなのは地位や権力が無いからなので、能力や努力のせいではないんですなあ。

ところが、反論するやつが出てきました。

応慎子曰。

慎子に応じて曰う。

慎先生のおコトバに反対して申し上げますぞ。

―――なんだと。

飛龍乗雲、騰蛇游霧。吾不以龍蛇為不託於雲霧之勢也。

飛龍雲に乗り、騰蛇霧に游ぶ。吾、龍蛇を以て雲霧の勢に託せらずとは為さざるなり。

空飛ぶ龍は雲に乗り、天に昇るおろちは霧の中にうねる、という。確かにわたしも、龍やおろちが雲や霧の力に依存していない、とは申し上げる気はございません。

―――だったら黙っていろ。

雖然不択賢而専任勢足以為治乎。則吾未得見也。

然りといえども、賢を択ばずして勢に専任せば以て治を為すに足るか。吾はいまだ得て見ざるなり。

そうはいっても、賢者を選択せずに、勢力だけあれば大丈夫だと任せておいて、それで政治がうまくいきますか。わたしはいまだそんな状況を見たことがありませんぞ。

―――おまえが見たことが無いだけだろう? 世の中には賢者など要らないのだ。

夫有雲霧之勢、而能乗游之者、龍蛇之材美也。今雲盛而螾弗能乗也。霧釀而螘不能游也。

それ、雲霧の勢有りて、よくこれに乗じて游ぶは、龍蛇の材の美なればなり。今、雲盛んなれども螾(いん)は乗ずるあたわず。霧釀(こ)けれども螘(ぎ)は游ぶあたわざるなり。

まあまあ。雲や霧に勢いがあるからといって、それに乗ってうねうねできるのは、龍やおろちにすばらしい能力があるからです。たとえいま、雲が盛んにもくもく湧いたとしてもミミズがそれに乗って空を飛べますか。霧が濃密に立ちこめたとしてもアリがそれに乗ってくねくねできますか。

―――むむ!

夫盛雲濃霧之勢、而不能乗游者、螾螘之材薄也。

それ、盛んなる雲と濃き霧の勢ありて、乗り游ぶあたわざるは、螾螘の材薄ければなり。

ああ、もくもく湧く雲や、濃密に立ちこめる霧の勢いがあっても、それに乗ってくねくねできないのは、ミミズやアリにもともとの能力が無いからだ!!!

―――ぎぎぎ。

今桀紂南面而王天下、以天子之威為之雲霧、而天下不免乎大乱者、桀紂之材薄也。且其人以堯之勢治天下、何以異桀之勢乱天下也。

今、桀紂南面して天下に王たりて天子の威を以てこれが雲霧と為すも、しかれども天下の大いに乱るるを免れざるは、桀紂の材薄きなり。かつその人、堯の勢を以て天下治むるは、何ぞ桀の勢を以て天下を乱すに異ならん。

考えてもみなさい。夏の桀王、殷の紂王はどちらも南に向いた王の座に座って天下を支配していた。天の子という威厳が、彼らにとっての雲や霧のように彼らに力を添えていた。それなのに、天下は大乱に陥り、かれらはどちらも殺されてしまったのだ。これは桀王や紂王の能力が足らなかったんでしょう。そして、ある人が、聖なる王・堯のような勢力を以て天下を治めるのと、桀王のような勢力を以て天下を乱すのと、どこが違うというのでしょうか。

「勢力」ではなく、堯と桀のそもそもの人としての力が違うんです!

―――うう。やっぱりダメでした。ルサンチマン敗北だ、わしらはダメなのだ・・・。

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「韓非子」巻十七「難勢篇」より。みみずやアリとして生きてきたのですが、宝くじや遺産が転がり込むとかベイシックインカム制度で生きていけるとか、そういう雲や霧に乗ずることはできないのか。しかもできればこの土日のうちに。

 

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