令和2年5月18日(月)  目次へ  前回に戻る

毒々しいひょうたんに入った飲料を次々に飲むぶた和尚の胆力のすさまじさよ。こうやって毒と薬を見究めていくのだ。

なんとなく朝電車に乗っているひとがまた増えてきたような気がします。日本はなんとかコロナをこれぐらいで食い止めたのかな。八百万の神さまがいるから、何柱かはコロナが得意な神さまもいるのかも知れません。

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チャイナには、「天医さま」という方がいるものなんだそうです。

弘治二年(1489)五月のこと、蘇州のひと顧謙は「傷寒」を患った。「傷寒」はゲンダイでいう「腸チフス」に比定されますが、ぴったり腸チフスだけを指すのではなく、その類似の症状も含みます。

顧謙は読書人階級に属するひとだったので、府の医官・杜祥を紹介してもらって診察を受けていたが、

七日転加瞀眩。

七日にして転じて瞀眩(ぼうげん)を加う。

発症後七日経過した時点で病状が悪転し、目の前が真っ暗になって眩暈を起こし始めた。

意識を取り戻したり失ったりしていたので、正確な時間はわからないのだが、夜中であったろうか、

夢一老人。曰、爾為杜生所誤。不速更医則当死。

一老人を夢む。曰く、爾は杜生の誤まつところと為らん。速やかに医を更えざれば、すなわちまさに死すべし。

夢の中(だと思われる幻覚の中)に老人が現れて、

「おまえさんは、かわいそうにのう、杜先生の誤診の被害者になりそうじゃのう。すぐにお医者を替えないと、もうすぐ絶対に死ぬであろうなあ」

と言ったのであった。

「そ、そうですか・・・。で、では、ど、どなたにお願いすればいいのでしょう・・・」

力なく訊いてみると、

劉宗序。

劉宗序なり。

「劉宗序じゃ」

そこだけ妙にはっきりと聞こえた。

すぐに跳ね起きたつもりであったが、もう朝になっていた。

枕もとに家人を呼んで調べさせると、確かに隣町の葑門にその名の医師がいるというので、すぐ迎えに行ってもらった。

服其薬、病稍稍減。

その薬を服するに、病やや減ず。

劉の調合したクスリを服用しているうちに少し病状は回復したようである。

ある晩、

方夜分起食粥、挙首見金冠緑袍者一人、踞坐梁上。室中懸薬葫蘆累百。

まさに夜分に起きて粥を食うに、首を挙げて金冠緑袍の者一人、梁上に踞坐するを見る。室中に薬の葫蘆(ころ)を懸けること、百を累(かさ)ねたり。

ちょうど深夜ころ、起きて粥を食っていたところ、ふと見上げると、金の冠に緑の上着の若者が一人、横柱の上にあぐらをかいて座っているのが目に入った。そのとき、部屋の中は、横柱から薬の入ったひょうたんが何百となくぶらさがっていた。

ひょうたんは色とりどりに揺れている。なんだかマボロシのような状況ですが、そのひとが何やらささやくように言うのである。よく耳を傾けてみると、

子知我乎。我天医也。

子我を知れるや。我は天医なり。

(おまえは、わしを知っているじゃか? わしは天医じゃよ)

それから、顧に向かっていろいろ事細かに治療法を教えてくれた。

そして最後に、

授以数百言、曰、子能行此、可爲名医。善記之勿忘也。

授くるに数百言を以てし、曰く「子よくこれを行わば、名医たるべし。善くこれを記して忘るることなかれ」と。

数百単語の文章を教えてくれ、付け加えて言うに、

(おまえが今言ったようにすれば、名医になれるじゃよ。よく記憶して、忘れることがないようにするじゃよ)

と。

語訖而隠。

語訖りて隠る。

そのコトバを終えると、かき消すようにいなくなった。

同時に、数百のひょうたんも消えて、もとの部屋に戻った。

それ以降、どんどん快方に向かって、間もなく本復したのであるが、困ったことが出来した。

苦耳聵。

耳の聵せるに苦しめり。

耳が聞こえなくなってしまったのだ。

冬になって、評判の医師・凌漢章のところを訪ねて行ったところ、凌先生は

「これはクスリの及ぶところではありませんね」

と診たてた。聞こえないので字で書いてもらう。薬不及爾耳症・・・、

「むむ・・・、それでは諦めろと・・・」

否、否。

先生は首を振って、「針治」と書いた。

「は、はり、ですか? 痛くはないんですよね・・・」

不痛、不痛。

「ほんとかなあ・・・」

為針両耳、移時而癒。

両耳に針を為すに、移時にして癒えたり。

両耳に針を施したところ、ものの15分ほどで治癒し、聞こえるようになった。

「すばらしいです」

顧が感動して手を合わせると、凌先生はそれを押しとどめて、

子嘗為天医伝薬乎。

子かつて天医の薬を伝うるところと為るか。

「あなたは、以前、「天医」から薬をもらったようですね」

と言った。

「え? ど、どうしてわかるんですか」

顧謙驚問。

顧謙驚きて問う。

顧謙がびっくりして質問すると、

凌先生は言った。

大凡天医治疾、伝薬耳中、薬入而気閉、故聵也。

大凡、天医疾を治するに、耳中に薬を伝う、薬入りて気閉ず、故に聵せるなり。

「たいていの場合、天医のやつはひとの病を治すのに、耳の中に薬を入れていくんです。薬が入ったところで、空気の通過を閉ざしてしまうので、耳が聞こえなくなることがあるんですよ。

天医はその人によって違った姿で現れます。時には女性であったり、老人であったり、童子であったり、ドウブツや鳥であったり、金の冠に緑の上着の若者であったり・・・」

「ああ、それです、それ」

謙乃具言所見、曰先生神人也。

謙すなわち見るところを具言し、「先生は神人なり」と曰えり。

顧謙は自らが見た梁上の天医について説明し、それから「凌先生、あなたこそ神さまじゃー」と伏し拝んだ。

「わたしはただの医師ですよ。それより、天医は何か言ってませんでしたか?」

「それはもちろん・・・あれ?」

謙自病後、追繹与神問答之語、皆歴歴分明、独所授要言、茫然不記一字。

謙病後より、神との問答の語を追繹し、みな歴歴分明なるも、独り授くるところの要言のみ、茫然として一字をも記せず。

顧謙は病気以降、現れた神さま(最初の老人、その後の若者)とのやりとりは何度も思い返して、すべてはっきりと記憶していた・・・はずなのに、ただ天医が教えてくれた重要なコトバだけは、なんと、一語も思い出せなくなっていたのだ。

凌先生は静かに言った。

「そうですか。少しづつ覚えているひとがいて、それを継ぎ合わせて何をおっしゃっているのか知ろうと努めているのですが、もう十何年経ってやっと五十か六十語しかわかりません。それでも、死にかけた重症者を十人に五人六人は生かせるようになりましたが・・・。ありがたいことです」

この凌漢章は湖州の人で、

針術通神、其詳当別有志。

針術神に通じ、その詳はまさに別に志(し)有るべし。

針の治療術はまさに神さまだと言われた。針術の詳しいことについては、彼自身が別に記録を遺している。

これは、顧謙本人から聞いたお話である。

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「庚己編」巻第五より。しかるにこの「別にあるべき記録」は今となっては伝わっておりません。湖州といえば武漢ですから、武漢で当初中央政府に報告する必要がないぐらい感染者が少なかったらしいのは凌先生らの活躍によるのかも。さらにそのあと感染大爆発になって首相とか現地に入ってきたのは、先生らが治療を止めてしまったからかも知れません・・・なんてことはないと思いますが、なにしろカンフーでモンゴル騎兵も旧日本軍も撃退したらしいからなあ。

 

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