令和2年4月26日(日)  目次へ  前回に戻る

寝ている間に疫病も平日もその他もろもろのイヤなことも、終わってしまわないかなー。

言わんこっちゃないですよ。「休日だ」と和んでいる間にもう明日は平日だ。この日のあることをなぜ心して準備していなかったのか。

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オロカモノめ、説教してやるぞ。

豊墻墝下、未必崩也。流行潦至、壊必先矣。

豊墻(ほうしょう)墝下(こうか)するもいまだ必ずしも崩れざるなり。流行の潦至れば、壊るること必ず先んぜん。

豪華の土塀を石ころだらけの土地に築いても、すぐに崩れるわけではない。けれど、流れ来たる大水が至れば、他のどこよりも先に壊滅してしまうだろう。

樹本浅、根垓不深、未必撅也。飄風起暴雨至、抜必先矣。

樹本浅く、根垓深からざるも、いまだ必ずしも撅(ぬ)かれざるなり。飄風起こり、暴雨至れば、抜くること必ず先んぜん。

木の根元が浅く、根の先が深くなくても、すぐに抜けてしまうわけではない。けれど、つむじ風が起こり、激しい雨が来れば、他の草木よりも先に抜け倒れてしまうだろう。

ニンゲン社会も同じなんじゃ。

君子居於是国、不崇仁義、不尊賢臣、未必亡也。

君子のこの国居りて、仁義を崇(たっと)ばず、賢臣を尊ばざるも、いまだ必ずしも亡ばず。

この国にいる指導者たちが、仁義道徳を重視せず、臣下の賢者を大切にしなくても、すぐに国が亡ぶわけではない。

だが、

然一旦有非常之変、車馳人走、指而禍至、乃始乾喉燋脣、仰天而歎、庶幾焉天其救之。不亦難乎。

然るに一旦非常の変有りて、車馳せ人走り、指して禍至らんとして、すなわち始めて喉を乾かし脣を燋がして、天を仰ぎて、「庶幾(こいねが)わくば天それこれを救え」と歎く。また難からずや。

けれど、ある日、想定外の事件が起こって、馬車は馳せ人は走り、指さして「たいへんなことが起こるぞ!」と言い出して、はじめてのどを涸らしくちびるを乾かして、天を仰いで曰く、

「お願いです、おてんとうさま、どうかお救いくださいませ」

と願っても、もうどうしようもないのではないかなあ。

―――ということで、孔子がおっしゃったことには、

不慎其前、而悔其後、雖悔無及矣。

その前を慎まずして、その後を悔ゆ、悔ゆといえども及ぶ無きなり。

「先に慎重にやらずにおいて、後で後悔するやつがおる。後悔してももうどうしようもないではないか」

と。

「詩経」王風「中谷有蓷」にこのようにある。

啜其泣矣、 啜してそれ泣くも、

何嗟及矣。 何ぞ嗟(なげ)きの及ばんや。

 すすり泣きして涙を流し、

 嘆いたところで、もうどうすることができようか。

言不先正本而成憂於末也。

言うは、先に本を正ざすんば憂いを末に成さん、となり。

そのこころは、「先に根本のところを正しくしておかないと、あとで心配事が起こる」ということである。

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「韓詩外伝」巻二より(「説苑」巻三「建本」所収)。「韓詩外伝」は漢代、正統の学派として「詩経」を伝授した斉・魯・韓の三氏(現代まで伝わった毛氏は含まれない)のうち、韓氏に伝わった「詩経」の読み方に関する参考書です。この本を引用するのはずいぶん久しぶりで、実は今も肝冷斎所蔵の「韓詩外伝」自体は部屋の地層の奥深くに埋もれてしまっているのですが、今回は「説苑」に引用しているものを再引用させていただきました。なお、出て来る「中谷有蓷」(中谷に蓷(タイ。「めはじき」という植物)がある)という詩は、漢代以来の解釈である「詩序」も宋代の新しい解釈である朱晦庵の「詩集伝」も、飢饉によって夫と別離せざるを得なくなった女性の歌である、と解しています(肝冷斎は、そういう古代劇の劇中歌と解する立場です)。

引用の部分はこの詩の第三連にあって、

中谷有蓷、中谷に蓷(たい)有り、

暵其湿矣。暵(かん)としてそれ湿(うる)おえれり。 

有女仳離、女有りて仳離(ひり)し、

啜其泣矣。啜(てつ)としてそれ泣く。

啜其泣矣、啜としてそれ泣くも、

何嗟及矣。何ぞ嗟きの及ばんや。

「蓷」(タイ、テイ。メハジキ)は、本来は普通の陸地に群れて生じるものなんだそうですが、それが湿地である谷の中に一本だけ生えている、ということから、何らかの災いによって孤立した状況を譬えているのだ、と理解されています。

「暵」(かん)は本来は「干からびて萎れる」なんですが、ここでは「湿」とセットになっているので、水浸しになって枯れている状態のことと解されています。「仳」(ひ)は「別」と同じ。「啜」(てつ)は「すすり泣く」。

 谷の中にはメハジキが一本だけ生えている。

 それは水浸しになって枯れていこうとしている。

 女がいる、その女も(飢饉で)人と別離して一人でいて、

 すすり泣きして涙を流している。

 すすり泣きして涙を流し、

 嘆いたところで、もうどうすることができようか。

本来はこのように悲痛な状況を歌った詩なので、同情を持って読まなければならないのですが、今日紹介した「韓詩外伝」の解説は、いわゆる「断章取義」(全体ではなくその部分だけを取ってきて意味を理解(し、活用)する)という手法ですね。

とまれ、一旦ことあってみな騒ぎ叫んでも、天は助けてくれないみたいなんです。

かつて(ホントかどうかは知りませんけど)、一万年以上昔の超古代に栄華を誇ったムー帝国が滅びるとき、救いを求める人民たちに、ムーの大神官はこう言ったという。

「民衆たちよ、わたしはこの日があることを何度も言ってこなかったか? おまえたちがその行いを改めない限りこの日が来ることを、何度も言ってこなかったか?」

そして大神官たちは、崩れ行く神殿の中に埋もれていったのだ・・・ (チャーチワード「ムー大陸の真実」)

みんなで滅びていくんですから、究極の均霑主義、結果平等であります。

 

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