令和2年4月24日(金)  目次へ  前回に戻る

今日は四月下旬とは思えないぐらい寒いので、凍った身も心も解けていくようでぶ。遠慮せずにもっとがんがん沸かしてほしいでぶー。

今晩はホントに寒いです。暦?どおりだったら今日は神宮球場でナイター見てたはずなので、今ごろかちかちに凍ってしまっていたカモ知れません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

むかしから寒いと「今日は寒いなあ、からだがかちかちに凍ってしまうでー」とよく言いますが、

古人之言、有未可尽信者。

古人の言、いまだことごとくは信ずるべからざるもの有り。

むかしの人の言うことだからといって、すべてを信用してはいけない。

のです。ニンゲンがかちかちに凍るには、かなりの氷点下の気温が必要です。

また、「格古要論」という本を閲すると、

水晶為千年老冰。

水晶は千年の老冰なり。

水が凍って、そのまま千年経つと水晶になる。

と書いてある。

へー、そうなんだ、確かにそんな形と色だなあ―――と信じてしまいそうになりますが、よく考えてみてください。

此物出于広東潮州。潮州烏得有冰。

この物、広東の潮州より出づ。潮州にいずくんぞ冰有るを得んや。

水晶というモノは、広東の潮州で産出する。広東の潮州といえば南シナ海に面した南国である。どうしてそんなところに千年もそのままの冰があるであろうか。

ホントのほんとはインドで産出されて海路、広東に運ばれてきているんですが、インドも南国だから結論に問題はないでしょう。

且有黄晶、紫晶、緑晶、茶晶、墨晶、髪晶之別、其非冰也明矣。

かつ黄晶、紫晶、緑晶、茶晶、墨晶、髪晶の別有り、その冰にあらざるや明らかなり。

それに、黄色い水晶、紫の水晶、緑の水晶、茶色の水晶、墨のように黒い水晶、髪のように白黒まだらの水晶といった種類があるのである。単なる冰であったら、こんなバラエティに富んだものになるはずがないから、氷でないことは明らかである。

さらに、

宋・蔡縧「鉄囲山叢談」は考証の確かさで名高い書であるが、その中に、

政和間、伊陽太和山崩、裂出水晶。

政和の間、伊陽・太和山崩れ、裂けて水晶を出だせり。

宋・徽宗皇帝の政和年間(1111〜18)に、河南・伊水の北で、太和山が崩れ、地が裂けて水晶が露出した。

という記述がある。

則是石中所産無疑。

すなわちこれ石中の産するところ疑い無し。

ということで、石の中から出来上がってくるものであることに間違いはない。

しつこい人は、劉貢父先生が人と飯を食っていて、たまたま

言及水晶係是何物。

言、水晶の係りてこれ何物ぞやに及ぶ。

話が、「水晶とは一体もともと何物なんでしょうね」ということに及んだ。

劉貢父は11世紀北宋の大知識人で、特に漢代の歴史や思想に詳しかった大先生で、司馬光の信頼篤かったすごい先生であるが、先生がこのとき、

不過多年老冰耳。

多年の老冰に過ぎざるのみ。

ずっと長いこと「冰」であったに過ぎませんぞ。

と答えたというのを根拠に、「やっぱり氷なのだ」と言い出すしたりするものである。しかし、これは

冰兵同音、蓋戯語也。本不可以為据。

「冰」と「兵」と同音、けだし戯語なり。もとより以て据と為すべからず。

「冰」(ひょう)と「兵」(ひょう)が同じ音なので、ふざけて言ったコトバでしかない。まったく根拠にはなりません。

・・・・・・・・・・・・・・・・

「両般秋雨盦随筆」巻六より。うーん。水晶が冰ではないことはわかったんですが、冰と兵が同音だ、だから一体何がおふざけになっているのか。

・ずっと長いこと「冰」であったに過ぎませんぞ。

・ずっと長いこと「兵」であったに過ぎませんぞ。

「わははは」「いひひひ」「これはオモシロい」

ということなんですが、後世の肝冷斎にはオモシロさがよくわかりません。おそらくその場に兵隊あがりの人がいて、そのひとをあてこすったいかにもチャイナ知識人的な陰湿なコトバ遊びなんではないかと思いますが、いずれにせよ根拠にはならないんだからいいか。

 

次へ