令和2年4月6日(月)  目次へ  前回に戻る

ぶうすかと眠っている間に春は過ぎ、ついでにコロナ禍も終わるかと思ったが、甘かったでメー。

いよいよ明日にも緊急事態宣言だそうです。

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唐の時代のことです。

1.鎮将・王忱(おう・しん)は

清苦粛下。

清苦にして下を粛す。

清廉で苦労しながら、部下を厳しく律した。

と言われるひとである。

有軍士犯禁、杖而枷之、約曰、百日乃脱。

軍士の禁を犯す有るに、杖してこれに枷し、約して曰く「百日すなわち脱せん」と。

軍規を破った兵士が出たとき、杖で打つ罰を与えた後、枷を嵌め、「百日後に外してやる」と約束した。

「百日は少しキビシイのではございませんかな」

と兵士の肩を持つ者もあったが、

「既に決めたのであるから、百日は百日じゃ」

「例外もあるものでございましょう」

未及百日而脱者有三。

いまだ百日に及ばずして脱するもの、三有り。

「そうじゃな・・・。百日未満でも外してやる場合が三つだけある」

そうして、兵士に向かって言った。

我死則脱、爾死則脱、天子之命則脱。

我死すればすなわち脱せん、爾死すればすなわち脱せん、天子の命あらばすなわち脱せん。

わしが死んだときは外してやることにしよう。おまえが死んだときも外してやる。あと一は、皇帝から外すようご命令があったときだけじゃ。

非此、臂可折、約不可改也。

これにあらずんば、臂は折るべくも、約は改むべからず。

それ以外、わしの腕を折られたって、この決め事は変更できぬ」

由是秋毫不犯。

これにより、秋毫も犯さず。

これ以降、兵士らは何一つ軍規を破ることはなかった。

2.李恵登は軍吏から隋州の刺史にまでなった人であるが、いつも、

吾二名惟識恵字、不識登字。

吾の二名、これ「恵」字を識るのみ、「登」字を識らず。

「わしの名前は二文字から成っているが、このうち、ひとに「恵」むことだけしか、わしは知らんからな。高い地位に「登」ることは知らんぞ」

と言っていた。

為政清浄無迹、不求人知、闔境大化。

政を為して清浄にして迹無く、人の知るを求めざるも、闔境大化す。

その施政は清廉潔白、無理に何かをした、という痕跡は何もなく、都のお偉方にはその能力を知られようともしなかったが、所管の域内は大いに治まった。

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いずれも「唐国史補」巻中「唐語林」巻二所収)より。百日はキビシイところですが、緊急事態宣言は一か月が目途らしい。経済への影響は多大であろうと予想されますが、全国が緊急というわけではないらしいんで、指定域内のみなさん、なんとかやっていきましょう。

 

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