令和2年3月3日(火)  目次へ  前回に戻る

3月3日は、おれたち五人囃子の日だぜ! なんで宮中儀礼と関係の無い「謡曲」うたいたちがこんなところに食い込んでいるのか、とか、五人もいてみんなオトコではジェンダーバランスが崩れている、何人かLGBTにしろ、とか難しい問題は抜き!

五人囃子のやつら、学校休校で楽になりやがって・・・。そこで、今日は音楽を否定してみます。

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とはいえ自分で考えるのはめんどくさいので、古代の思想家で音楽を否定(「非樂」)した第一人者といわれる↓このひとに論じていただきましょう。

子墨子曰、聖王不為樂。

子墨子曰く、聖王は楽を為さず、と。

墨子先生がおっしゃった、「古代の聖なる王たちは、音楽を奏でなかった」と。

弟子の程繁が質問した。

昔、諸侯倦於聴治、息於鐘鼓之楽。士大夫倦於聴治、息於竽瑟之楽。農夫春耕夏耘秋斂冬蔵、息於瓴缶之楽。

昔、諸侯は治を聴くに倦みて鐘鼓の楽に息(やす)む。

士大夫は治を聴くに倦みて竽瑟の楽に息む。

農夫は春耕し夏耘(くさぎ)り秋斂(おさ)め冬蔵し、瓴缶(れいふ)の楽に息む。

「瓴」(れい)は「(取っ手のついた)かめ」、「缶」(ふ)は「かん」と読むのは「罐」(かん)の略字(当用漢字)として使うからあで、本来は「ふ」で、「ほとぎ」とか「もたい」といわれるお酒を容れる土器。「瓴缶」と併せてどちらも「中に物を容れるための土器」で、叩けば音が出ます。

←これが缶(ふ)です。「缶」が象形文字であることがギリギリ分かりますね。

古代の諸侯は奏上事を聴いて政治を行うのに疲れると、鐘や太鼓の音楽を聞いて憩われた。

士大夫たちは訴え事を聴いて判断や裁判を行うのに疲れると、笛やおおごとの音楽を奏でて憩うた。

農夫たちは、春の耕作・夏の草取り・秋の収穫を終え、冬の貯蔵までし終わると、カメやほとぎを叩いて音楽を鳴らして憩うたといいます。

しかるに、先生は、

曰聖王不為楽。此譬之、猶馬駕而不税、弓張而不弛、無乃非有血気者之所不能至邪。

曰く、「聖王楽を為さず」と。此れ、これを譬うるに、なお馬駕して税(と)かず、弓張りて弛めざるがごとくして、すなわち血気有る者の至る能わざる所にあらざる無からんや。

「聖なる王たちは音楽を奏でなかった」とおっしゃる。これは何ですか、たとえてみれば、ウマに車を引かせたあと手綱を解いてやらず、弓を張ったまま緩めない、ということですから、命ある者がそんなことできないようなことではない、ということではありえません」

三重否定です。結局は「血気有る者にはできないことだ」というのを強調して強調して言っているわけです。

すると、墨子はおっしゃった。

「むかし、超古代の堯帝・舜帝は、まだ原始時代で、茅葺屋根の宮殿に住んでいたが、それでも儀礼を定め、

且以為楽。

かつ以て学を為す。

同時に音楽を奏でたんじゃ。

殷の成湯王は夏の桀王を追放して自分が王となった。事成ってもはや後患無しと思われたとき、

因先王之楽、又自作楽、命曰護。

先王の楽に因り、また自ら楽を作し、命じて「護」と曰えり。

以前の王者の音楽を使い、また自分で新しい音楽を作らせて、これを「まもりうた」と名づけたんじゃ。

周の武王は殷の紂王を征伐して自分が王となった。事成ってもはや後患無しと思われたとき、

因先王之楽、又自作楽、命曰象。

先王の楽に因り、また自ら楽を作し、命じて「象」と曰えり。

以前の王者の音楽を使い、また自分で新しい音楽を作らせて、これを「かたち(を似せた)うた」と名づけたんじゃ。

武王の子の成王は、自らの治世において、

因先王之楽、又自作楽、命曰騶虞。

先王の楽に因り、また自ら楽を作し、命じて「騶虞」と曰えり。

以前の王者の音楽を使い、また自分で新しい音楽を作らせて、これを「よきまもりのうた」と名づけたんじゃ。

こうして、段々とうたは複雑になってきた。

一方、

周成王之治天下也、不若武王。武王之治天下也、不若成湯。成湯之治天下也、不若堯舜。故楽逾繁者、其治逾寡。自此観之、楽非所以治天下也。

周の成王の天下を治むるや、武王に若かず。武王の天下を治むるや、成湯に若かず。成湯の天下を治むるや、堯舜に若かず。故に楽いよいよ繁なれば、その治はいよいよ寡なり。これよりこれを観れば、楽は天下を治むる所以にあらざるなり。

周の成王の天下を治めた政治は、武王ほどよくなかった。武王の天下を治めた政治は、成湯王ほどよくなかった。成湯王の天下を治めた政治は、堯帝や舜帝ほどよくなかった。このことから、音楽が複雑になればなるほど、その政治はダメになっていくということが明らかになる。このことから、音楽は天下を治めることと何の関係もない、ということがわかるであろう」

「先生・・・、ちょっと待ってください」

程繁は訊いた。

子曰聖王無楽、此亦楽已。

子曰く、聖王楽無し、と、これまた楽なるのみ。

「先生は「聖なる王たちには音楽の演奏など無かった」とおっしゃられるが、今の話を聞くと、少なくとも音楽はあったんじゃないですか。

どうして聖なる王には音楽の演奏など無い、と主張されるんですか?」

「いやいや」

墨子は言いました。

聖王之命也、多寡之。食之利也、以知饑而食之者智也、因為無智矣。今聖有楽而少、此亦無也。

聖王の命や、多くこれを寡くす。食の利や、以て饑えてこれを食らうことを知る者は智なりといえども、因(もと)より知無しと為されん。いま、聖は楽有りて少なし、これまた無きなり。

「聖なる王さまたちは、音楽を演奏することを少なくしているひとが多いということがわかったではないか。さて、食事の利点を考えるに、腹が減ったら食う、ということを知っているひとは確かに知恵がある、ということになるわけだが、(そんなことはみんな本能で知っているわけで)知恵がある、といわれるようなことではない。これと同様に、聖なる方には音楽があっても少ない、ということであれば、無いと同じだといえるわけじゃよ、わかるじゃろう?」

「え?」 

「わかったこととする!」

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「墨子」三弁第七より。ちょっと何言っているか分からなくなりましたね。合理主義者である墨先生は「音楽は虚栄だ」として否定したようなのですが、理屈が無茶苦茶になって最後はダダを捏ねているみたいになってしまいました。しようがないから今日のところは音楽が否定できなかったので、ジャズでも聞いて寝ることにするぜ。

 

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