令和元年12月19日(木)  目次へ  前回に戻る

ツラい世の中から逃れるために居眠りをしていると、チクチクと起こしに来るやつがいたりするのである。

社会とか会社がイヤなので、洞穴や袋の中に入って、もう出て来なければいいように思うのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

「布袋(ほてい)さん」といえば、普通は後梁の奇僧・定応大師・布袋和尚(→「布袋伝」参照)のことだと思いますよね。いいとこ、トラヤスのことですよね。

ところが、チャイナでは

世号贅婿為布袋。

世に「贅婿」を号して「布袋」と為す。

世間では、入り婿で来た男性のことを、「布袋」(ほてい・ほたい)と呼ぶ。

のだそうです。

「贅婿」の「贅」(ぜい)は「贅沢」の「贅」ですが、もともと質に入れた質草のことで、借金の方に婿入りさせられたものが多かったので、入り婿のことを「贅婿」というようになったのだ、とかなんとかという説があります。

しかし、「布袋」の方については、

多不暁其義。

多くその義を暁(さと)らず。

なぜ(入り婿を)そのようにいうのか、意味がわかっていない人が多い。

よくいうのは、

如入布袋、気不得出。

布袋に入るが如く、気、出づるを得ざればなり。

布の袋に入れられているように、好きに呼吸も出来ない扱いだからだ。

というのであるが、それなら「布袋中」というべきであって「布袋」にはならない道理であろう。

・・・と、ずっと疑問に思っていたのですが、

頃附舟入浙、有一同舟者号李布袋。篙人問其徒云、如何入舎婿謂之布袋。

頃(さき)に舟に附して浙に入るに、一同舟者に「李布袋」と号する有り。篙人、その徒に問うて云うに、「如何ぞ入舎の婿を「布袋」と謂うや」と。

この間、乗り合いの客船に乗って浙江に行ったとき、同じ船に「李布袋」と周りから呼ばれているひとがいた。船頭さんもわたしと同じ疑問を持っていたみたいで、その人の仲間たちに「どうして入り婿のことを「布袋さん」と呼ぶのかね?」と質問した。

「ええ?」

衆無語。

衆、語無し。

みんな茫然として答えが無かった。

変な沈黙の時間がしばらく流れたあと、

忽一人曰、語訛也。

たちまち一人曰く、「語の訛なり」と。

その中の一人がはっと気づいて、言った。

「船頭さん、それは聞き間違いだよ」

「聞き間違い?」

「「布袋さん」なんていってないんだよ。

謂之補代。人家有女無子、恐世代自此絶、不肯嫁出、招婿以補其世代爾。

これを「補代」(ほたい)と謂うなり。人家に女有りて子無ければ、世代のこれより絶するを恐れて、あえて嫁出せず、婿を招きて以てその世代を補(おぎな)えるのみ。

それは「補代(ほたい)さん」と呼んでいるのだ。ある家にムスメはいるけどムスコがいないとき、そこで家系が断絶してしまうのを恐れて、ムスメをヨメにやらずに、婿をとって家を継がせる、「世代を補う」人、という意味で「ほたいさん」と呼ぶんだ」

なーるほど、そういうことだったのか。やっと理解できました。ほんと、

此言絶有理。

この言絶して理有り。

こんな道理の通った話はまず聞けるものではない。

よかったですね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

宋・朱翌「漪覚寮雑記」より。「布袋さん」ではなかったんです。やっぱり「洞穴さん」になるしかないか・・・。

 

次へ