令和元年12月9日(月)  目次へ  前回に戻る

間もなくイノシシキャラクターは必要ではなくなる。ただのブタに戻れるのかも知れない。

明日はまだ火曜日です。早く週末にならないかなあ。

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さて、清の李石渠先生(名は殿図)は科挙出身で、多くの官職を経て福建の督撫となったひとだが、

治績卓卓。

治績、卓卓たり。

その行政上の実績は、他に抜きんでていた。

と言われたひとである。

このひとが、常に部下の役人たちに言っていたコトバがある。

要済事、 事を済ますを要するも、

勿喜事。 事を喜ぶこと勿れ。

要惜名、 名を惜しむを要するも、

勿沽名。 名を沽(う)ること勿れ。

要任怨、 怨みに任すを要するも、

勿斂怨。 怨みを斂(あつ)むること勿れ。

要近情、 情に近きを要するも、

勿徇情。 情に徇(したが)うこと勿れ。

 仕事を終わらせることが求められている。喜んで仕事を作り出してはならない。

不名誉なことをしないことが求められている。名声を高めようとする必要はない。

怨むやつには怨ませておけという公正さが求められている。わざわざ怨みを集めるような不公正なことをしてはならない。

民情に近い温かな行政が求められている。人情に流されて不正を為してはならない。

すばらしい。

数語櫽括吏治甚精。

数語は吏治を櫽括して甚だ精なり。

「櫽括」(いんかつ)は「矯め木」のことです。曲がったものに添えて、まっすぐにするための具。

以上の数語は、役人たちの「矯め木」として、たいへん精密に働くコトバだ。

先生年七十、長身亭立、瞻視聡明。

先生年七十、長身にして亭立し、瞻視聡明なり。

先生は当時七十歳だったが、すらりとした長身で、立ち上がったときには周りの人より高く、はっきりものが見え、耳も聡かった。

督撫から呼び戻されて、さらに中央で翰林の仕事をされたのは、たいへん珍しいことであると言われたものであった。

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清・趙慎畛「楡巣雑識」より。優秀なひとは七十過ぎてもたいへんですね。サラリーマン的には全部いいコトバだと思うんですが、そう考えること自体すでにわしは老害なのかも知れませんのじゃ。ひっひっひ。サラリーマンのみなさんは、こちらも参考にしてくだされよ。

 

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