令和元年10月25日(金)  目次へ  前回に戻る

岩手〜大分まで広く分布するアズキアライくんだが、さすがに裸足でいると少し寒くなってきました。南国に行こうかなー。千葉は今日もたいへんだったみたいですが、手伝えることも無いしなあ。

一週間終わった。読書でもしたいところですね。

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凡事不宜刻、若読書不可不刻。

およそ事は刻にすべからざるも、書を読むがごときは刻ならざるべからず。

ものごとはたいてい厳しくやり過ぎてはいけないのだが、本を読むということは、厳しくやらなければならない。

凡事不宜貪、若買書不可不貪。

およそ事は貪るべからざるも、書を買うがごときは貪らざるべからず。

ものごとはたいてい貪婪に求めてはいけないのだが、本を買うということには、貪婪にならなければならない。

凡事不宜痴、若行善不可不痴。

およそ事は痴なるべからざるも、善を行うがごときは痴ならざるべからず。

ものごとはたいていバカみたいにやってはいけないのだが、善行をするときは、バカみたいにならなければいけない。

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「幽夢影」118則。しかし明日明後日はまた読書三昧に入れぬ事情があるのです。いっひっひ。

最近、ある方のお奨めで鹿島茂さんの「子供より古書が大事と思いたい」(2008青土社)を読んでます。が、みんなおじさんなんかは後にして勝手にやっていくと思うので、子供も古書もそんなに大事しなくてもいいのかも。

「評語」がついています。

余淡心曰く、

読書不可不刻、請去一読字、移以贈我何如。

「書を読むは刻ならざるべからず」、請う、一「読」字を去りて、移して以て我に贈るは何如(いかん)。

「読書不可不刻」から「読」の字を除き去ると、

書不可不刻。

書は刻まざるべからず。

書いたものは印刷しないわけにはいかない。

になります。

「本を読むときだけは厳しくやりすぎなければならない」から、「読」の一字を除き去って、「書いたものは印刷しないわけにはいかない」に直してもらって、印刷に附したものをわしにも贈ってもらえればいいのだが、如何かな。

「幽夢影」の書が印刷される前に友人らが書き込んでいるのが、この「評語」ですからね。

張竹坡(著者本人)曰く、

我為刻書累、請幷去一不字。

我は書を刻むを累と為す、請う、幷(あわ)せて一「不」字を去らん。

わしはこの書を印刷するのがめんどうくさい。(「読」の一字を除くなら)あわせて「不」を一字除いて、

書不可刻。

書は刻むべからず。

書いたものを印刷してはならぬ。

にしていただくとありがたい。

また、

楊聖藻曰く、

行善不痴、是邀名矣。

善を行うに痴ならざれば、これ名を邀(むか)うるなり。

(それはそうと)善行をするときにバカみたいでなければ、それは売名行為というものだぞ。

 

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