令和元年10月24日(木)  目次へ  前回に戻る

なんにも働かずにジャマにしかならないのに、収穫物だけは分け前を主張するぶた農夫。じゃがおやじの怒りがさく裂する日も近い。(上と下に七か所が違いがあります。探してみよう!)

なんとか職場からまた無事帰ってきました。今週は疲れたなあー、と思ったがまだ明日も出勤か。

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清の時代のことですが、司法長官(「司寇」)だった徐原一というひとが、老年になって辞職し、浙江・呉門に帰郷した。

いろいろお世話になったと徐の書生あがりの賈生が宴会を開いてくれたのだが、その時、徐司寇は、

高据一席、庖人究極豊腆、巨鼎高豆、毎食必尽。

一席に高据し、庖人豊腆を究極するに、巨鼎・高豆、毎食必ず尽くす。

ひとり高い椅子に座り、料理人たちは最高級のこってりとした御馳走を作って、巨大なナベやひときわ大きなたかつき(足つきの皿)に盛るのだが、出て来た料理は一品づつすべて平らげてしまうのであった。

門人輪執爵更番為寿、継賈生以玉缸進、容三升、司寇一飲尽、如鯨吸川也。

門人爵を輪執して更番に寿を為し、継いで賈生は玉缸を以て進むるに三升を容るも、司寇一飲にして尽くして、鯨の川を吸うが如し。

世話になった者たちは、金属の徳利を持って順番に次々とお酒を注いで飲ませ、さらに賈生が三升も入る巨大な玉製のカメを持ってきてそのままお奨めすると、司寇どのはこれを一気呑みしてしまった。まるで巨魚が川の流れに口をつけて吸い尽してしまうようであった。

清代の一升は1リットル強です。

本来この徐司寇というひとは、たいへん太った方だったのであるが、そのひとが

箕踞高坐、腹昂然凸起高出案。

高坐に箕踞するに、腹昂然として凸起して案を高出す。

背の高い椅子のあぐらをかいて座ると、おなかがぼよよんとテーブルの上に飛び出すのであった。

毎食一器、令左右二俾先置玉盤于心胸凸起之処以盛豆、自以巨叉攫而啖之。須臾輒尽数器。

一器を食らうごとに、左右二俾をしてまず玉盤を心胸凸起の処に置かしめて、以て豆に盛り、自ら巨叉を以て攫いてこれを啖いて、須臾にしてすなわち数器を尽くす。

食事が出てくると、左右に二人のボーイを附き添わせておいて、彼らにまず大きな皿をおなかの飛び出した上に置かせ、その上に足つきの皿を載せて食べ物を入れさせる。それを自分で巨大なフォークを使って食うのであるが、瞬く間に何皿分かの料理を平らげてしまうのである。

飲酒則門生故吏争為侑進、満堂酣飽劇酔、夜以継昼。

飲酒はすなわち門生・故吏争いて侑進を為し、満堂酣飽し劇酔して、夜以て昼に継ぐ。

お酒の方も世話になった者や昔の部下たちが争って進め、食堂中満腹し激しく酔って、宴会は数日徹夜で続けられた。

ところが、

司寇如未嘗飲食、殆所謂塡巨壑灌漏卮耶。

司寇いまだかつて飲食せざるが如く、ほとんどいわゆる「巨壑を填(うづ)め、漏卮に灌(そそ)ぐ」なるものならんや。

そんな状態になっても司寇さまはまだ何も飲み食いしていない人のようにしか見えなかった。これこそ、「巨大な谷を埋め、穴のあいた盃に注ぐ」(底なしバケツ)というものであろうか。

退職したじじいのくせにおそろしい力を持っていたのです。

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「茶余客話」巻八より。週の途中なんですが、すばらしいので掲載しました。わしもまだまだがんばらねば・・・。

 

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