令和元年10月4日(金)  目次へ  前回に戻る

左から、おばけ、ジャックオーランタン、その弟分のかぼちゃのデーブ、一のコブンすいかのトムソンだ。悪だ。しかし毒性は無さそうである。

やっと金曜日。体力気力ともにゼロ。これほど空っぽでは月曜日までに充電とかするのはムリなので休むしかないのだ。

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その羽を酒にひたして作られた「鴆毒」は毒性すさまじく、触れるだけで人を殺すという(ちん)の鳥と、ヘビが野原で遭遇した。

鴆前而啄之。

鴆、前(すす)みてこれを啄まんとす。

鴆は、ヘビを食べようとして前進してきた。

ヘビが言いました、

世人皆毒子矣。毒者、悪名也。子所以有悪名者、以食我也。子不食我則無毒、不毒則悪名亡矣。

世人みな子を毒とす。毒なるものは悪名なり。子の悪名有る所以は、我を食らうを以てなり。子我を食らわざればすなわち毒無く、毒ならざればすなわち悪名亡くならん。

「世間のひとはみんな、あなたを「毒鳥」と呼んでおりますが、「毒〇」というのは憎まれているものの名前でにょろん。あなたが憎まれておられるのは、畢竟わたくしどもヘビをお食いにな(り、わたしどもの毒があなたさまの体中で蓄積されて、すごい毒にな)るからでございます。あなたがわたしをお食いにならなければ、あなたさまは無毒化され、無毒化されれば憎まれることもございませんのでにょろんぞ」

「ぎゃっぎゃっぎゃ」

鴆は笑って、笑い終わると、言いました、

「おいおい、ヘビさんよ。

爾豈不毒於世人哉。指我為毒、是欺也。夫爾毒於世人者、有心噛人也。吾怨爾之噛人、所以食爾示刑也。

爾、あに世人に毒とせられざらんや。我を指して毒と為すは、これ欺くなり。それ爾の世人に毒とせらるは、人を噛むに心有ればなり。吾、爾の人を噛むを怨む、爾を食らいて刑を示す所以なり。

おまえは世間の人から「毒〇」だと呼ばれていないのかな。それなのに、わしのことを「毒鳥」だというのは、なんやら欺瞞があるぞ。だいたい、おまえが世間のひとびとから毒とされているのは、意図して人に咬みつくからである。わしはおまえの人を咬むのを許しがたいので、おまえの行為を罰するためにおまえらヘビを食っているのだぞ。

世人審吾之能刑爾、故畜吾以防爾。又審爾之毒染吾毛羽肢体。故用殺人、吾之毒、爾之毒也。吾、疾悪而蒙其名爾。

世人の吾のよく爾を刑するを審らかにす、故に吾を畜して以て爾を防ぐ。また爾の毒の吾が毛羽・肢体を染むるを審らかにす。故に殺人に用うるなり。吾の毒は汝の毒なり。吾、悪を疾みてその名を蒙るのみ。

世間のひとはわしがおまえを罰するために食っているのをよく知ってくれているから、わしを飼っておまえの毒から身を守ろうしている。また、おまえの毒が、わしの毛や羽や体中に沁み込んでいるのをよく知っているから、わしを殺人に利用しようとするんじゃ。つまり、わしの毒はおまえの毒じゃ。わしは(おまえという)悪を憎んで成敗しているので、毒鳥だと言われてしまっているだけなんじゃよなあ。

然殺人者、人也。猶人持兵而殺人也、兵罪乎、人罪乎、則非吾之毒也、明矣。

しかるに殺人者は人なり。人の兵を持して人を殺すがごとき、兵の罪なるか、人の罪なるか、すなわち吾の毒にあらざること明らかなり。

だいたい、(わしを利用して)人を殺すのは人である。人が武器を使って他人を殺すとき、それは武器の罪なのか、それを使った人の罪なのか。わしが毒鳥と呼ばれるべきでないことは、明らかである。

世人所以畜吾而不畜爾又明矣。吾無心毒人、而疾悪得名、為人所用。吾所為能全其身也。全身而甘悪名、非悪名矣。

世人吾を畜えて爾を畜わえざる所以もまた明らかなり。吾は無心にして人に毒す、而して悪を疾(にく)みて名を得、人の用うるところと為る。吾のよくその身を全うするゆえんなり。身を全うして悪名に甘んずるは悪名にあらざるなり。

世間のひとは、わしを飼ってもおまえを飼わない理由も明らかであろう。わしは人を傷つけようなどと思っていないのに、人を毒するだけなんじゃ。悪(であるヘビ)を憎んでいることは広く理解され、一方で人を殺す毒として、人間に利用されているだけなのだ。このあたりがわしが無事で平穏な死を迎えられる理由なんで、無事に平穏な死を迎えることができるのであれば、憎まれているというがホントに憎まれているわけではないであろう。

爾以有心之毒、盱睢於草莽之間、伺人以自快。

爾、有心の毒を以て、草莽の間に盱睢(く・すい)し、人を伺いて以て自快するなり。

「盱」(く)は見上げる、「睢」(すい)は見下げること。

おまえは意図的に人を毒そうとして、草むらの中で頭を挙げたり下げたりしながら、ひとを狙って、そして自分で楽しんでいるのだ。

今遇我、天也。而欲詭弁苟免耶。

今、我に遇うは天なり。しかるに詭弁して苟免されんと欲するか。

今、おまえとわしが遭遇したのは天のさだめというものではないか。それなのに、そんな欺瞞に満ちた論説を用いて仮に免れようとしているのか」

「にょろーん」

ヘビは答えることができず、

「ぎゃっぎゃっぎゃー」

鴆食之。

鴆、これを食らう。

ついにヘビは、鴆に食われてしまった。

夫昆虫不可以有心、況人乎。

それ昆虫の有心を以てすべからず、いわんやひとをや。

おお。爬虫類やムシたちは意図的に何かをするべきではない。人についても、もちろんである。

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唐・無名氏「無能子」巻下「鴆説」より。ほんとにヘビが人を殺したいと思って人を咬むのだ、と思っているんですかね。・・・という内容の科学性はともかく、いい名前の書物だなあ。「無能!」という響きが心地いいですよね。しかも「子」がついていますから、「無能先生」ですよ。何にもできないから何にもしない先生だ。

 

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