令和元年9月29日(日)  目次へ  前回に戻る

海上でとりついて、船を沈没させたり溺死させるという「海ぼーじ」。本人も泳げないようであるが、大丈夫だ。なんとかなる。

あと10時間ぐらいで出勤。大丈夫じゃないんです。もうダメだー!

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ラグビーワールドカップが行われております。四年に一回ぐらい(いや、一生に一回、だそうですが)で、世界中の代表が集まってくる、というと、古典チャイナの科挙試験、数年に一回の会試に全国の「省」から優秀な受験生が集まってくるのを思い出させますなあ(←そんなひと、普通いないでしょうけど)。

「省」の代表を選ぶのは郷試(地方試験)で、これは春と秋の気候のいいときに各省の試験場で開かれたものですが、乾隆庚午年(1750)の浙江での郷試(地方試験)のときには、

八月十三夜、矮屋中聞轟喧之声、如江潮驟至。

八月十三夜、矮屋中に轟喧の声聞こえ、江潮の驟り至れるが如し。

八月十三日の夜であったが、試験場の各個室の中にいる受験者たちの耳に、轟音が聞こえてきた。まるで、(大潮の日に銭塘江に起こる現象である)海の潮が逆流して大河の河口から流れ込むときのようなすさまじい音であったということだ。

「なんだなんだなんだ」「うわーん」「こわいよー」

挙子倶奔赴号門、叫号不止、監試官不能禁。而外フ殊寂然無声也。

挙子ともに奔り赴きて門に号(さけ)び、叫号止まず、監試官も禁ずるあたわざるなり。而して、外フことに寂然として声無かりき。

地方試験の受験者たちは試験室から飛び出して、(会場と外部を隔てる)門のところまで逃げ、外に出してくれと大騒ぎになった。試験官たちも押しとどめることができ(ず、門を開いて避難させざるを得)なかったのである。ところがこの時、試験会場の外では、普段よりも静かで、何の音も聞こえなかった、ということである。

このためにこのときの試験が中止になってしまいましたので、翌年の春にやり直すことになった。

ところが次の年の三月十五日には大雪で、

士子忍凍不禁、而雷電交作、又無異盛夏時。

士子凍うるを忍ぶを禁ぜず、しかるに雷電こもごも作(おこ)り、また盛夏時に異なる無し。

受験者たちは凍え、がまんすることができなくなって騒ぎだし(今回も中止かと思われたが)、突然、稲光とカミナリの音が起こり出し、しばらくするとまるで真夏のような暑さになってしまったのであった。

ただし、この天変地異は、受験者たちの中に異常な人物がいた、というようなことではなくて、

皆一時之異也。

みな一時の異なり。

すべてその時だけの不思議な出来事であった。

んだそうなんです。

これは浙江という地方の出来事だったんですが、康熙辛丑年(1721)には、北京で行われた「会試」(全国試験)の際にも事件が起こっている。

会試掲暁之日、風霾大作、抜木毀垣。

会試の掲暁の日に、風霾(ふうばい)大いに作(おこ)り、木を抜き垣を毀(こぼ)てり。

全国試験の結果発表の日の朝、すさまじい風となって土嵐を巻き起こし、城内の木が根こそぎになり、あちこちで石垣が崩壊するほどとなったのだ。

皇帝自らたいへん憂慮され、大臣らを呼んで、

是榜或有真才屈抑、或中式者将大奸慝出其中。

この榜あるいは真才の屈抑さるる有るか、あるいは中式者のまさに大奸のその中に慝出するならん。

「今回の試験発表では、本当のすばらしい人材が抑えられ、不合格にされてしまっているのではないか。あるいは、合格者の中に、すごい悪いやつがひっそりと入っているのではないか。(そのため、天が警告のために天変を起こしたのではないだろうか。)」

と下問し、いま一度不合格となった答案にすばらしいものが無かったか、確認させたのだが、原因になりそうなものは無かった。

皇帝はその日の日記に

倶未可知云々。

ともにいまだ知るべからざるなり。うんぬん。

―――(原因は人材を不合格にさせたか、悪人を合格させたか、どちらかだと思うが)どちらであるか、今はまだわからない。(後世いつの日か、気づくときが来るのかも知れない。)・・・とかなんとか。

と御記述になられた。

これは康熙帝の「御製文集」に公式に記録されていることであるが、結局、原因は今に至るもわからずじまいである。

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清・阮葵生「茶余客話」巻二より。原因は試験結果の中にはないんだよ、自然現象なんだよ―――と教えてあげたいのですが、康熙帝も阮葵生さんも昔のひとなんでもう死んでいるので教えてあげられないのが残念です。

ワールドカップが無事終了して、世界中のファンに喜んでもらえますように。そして、できることなら日本代表がいいとこまで行きますように・・・。

 

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