令和元年9月10日(火)  目次へ  前回に戻る

北海道はそろそろ涼しくなって、ワタリガラスが渡ってきているころであろう。

早速コロポックルに突っつかれる。

実際には北海道は暑いみたいです。南関東も暑かった。その中、今日は某所に「カードゲーム・貞観政要」の説明に行ってきました。肝冷斎がいれば彼が行ったであろうになあ。

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いなくなったひとのことを考えてもしようがないので、今日もわしがみなさんに説教してやらねばなりますまいなあ。

清の初めのころ、江蘇・無錫出身の華亦祥というひとがあった。順治十六年(1659)に進士第二人で合格した秀才であるが、直情にして径行(ときどき「怪行」と思っているひとがいますが、「径行」ですので気をつけてください)なるを愛されて、康熙帝の時代、

聖眷甚優。

聖眷甚だ優なり。

皇帝のお覚えがたいへんよろしかった。

あるとき、皇帝の行幸に従って仏寺に赴いたことがあったが、

有某禅師者、徳望素著、聖祖見之如礼仏然、而此僧箕踞自若也。

某禅師なる者有りて、徳望素より著(あら)われ、聖祖これを観て仏に礼する如く然るに、この僧箕踞(ききょ)して自若たり。

この寺には某という禅師さまがおられ、その徳は以前より有名であった。聖祖・康熙帝は、この方の前で、仏を礼拝するかのように拝礼したが、この禅師は、あぐらをかいたままで当たり前のように振る舞っていた。

やがて

車駕出門。

車駕門を出づ。

皇帝の一行はお寺から帰っていかれた。

・・・はずだったのに、華亦祥だけ戻ってきました。

そして、禅師にずかずかと近寄ると、

取所持錫杖痛殴之、慢罵曰、爾何人、敢受天子拝耶。

所持する錫杖を取りてこれを痛殴し、慢罵して曰く、「なんじ何びとぞ、あえて天子の拝を受く」と。

禅師が持っていた錫杖を取り上げて、それで禅師をぶん殴ると、怒り罵って曰く、「おまえはいったい何様じゃ、天子に拝まれてあの態度はどういうことか!」と。

禅師はお答えになった。

不拝我、拝仏。

我を拝せず、仏を拝せり。

「わしを拝まれなさったわけではござるまい。仏を拝まれたのです」

「わはははは」

華は大笑いして言った、

我不打爾、打仏。

我、爾を打たず、仏を打てり。

「わしがぶん殴ったのもおまえではない、仏をぶん殴ったのじゃ!」

禅師は

乃合掌曰、阿弥陀仏、善知識。

すなわち合掌して曰く、「阿弥陀仏、善知識なり」と。

突然合掌して、おっしゃった。

「ありがたや。よくぞご指導くださった」

以上。

さすがにこのことがあってから、華は皇帝の近侍から外されることとなった。

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「履園叢話」巻一「旧聞」より。科挙試験に二番で合格したひとでもこんな程度だったみたいです。

みなさんも仏さまをぶん殴るのは止めましょう。もちろん人間も殴ってはいけません。

 

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