令和元年6月20日(木)  目次へ  前回に戻る

ドウブツたちにとってはその棲み処がそのまま仙地のように心地よい場所である。左図は、水中にてカッパの教えを受ける水棲動物たちの図。タコが水中にいるときから赤いのはどういうわけか詰問されているところだ。

風邪がこじれてきました。明日こそ休みたいなあ。

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わしのいる洞窟は、

青山在門、 青山、門に在り、

白雲当戸、 白雲、戸に当たり、

明月到窗、 明月、窗に到り、

涼風払座。 涼風、座を払う。

 門の前には、青い山がある。

 扉の先まで、白い雲が降りてくる。

 窓の向こうには、明るい月が見える。

 わしのすわっているところを、涼風が吹きすぎていく―――。

という快適さ。

勝地皆仙。五城十二楼、転覚揀択。

勝地はみな仙なり。五城十二楼も、転(うた)、揀択(かんたく)あるを。

「五城十二楼」は仙界の宮殿のことです。

「史記」孝武本紀に曰く、

方士有言、黄帝時為五城十二楼、以候神人於執期。命曰迎年。上許作之如方。

方士言う有り、「黄帝の時、五城十二楼を為(つく)り、以て神人を執期に候がう。命じて迎年と曰えり」と。上、これを作る許すこと、方の如し。

方術士が武帝に申し上げて云うには、

「超古代の黄帝さまのときのことでございますが、執期という土地に、五つの城・十二の高楼を築いて、神仙たちが降りて来られるのを観察したことがございました。「年の祈り」という名の行事でございました」

そこで、武帝は(方術士の言う)決まりどおりにその建物を造らせた。

というのが書物に現われた最初の例です。だいたい「史記」の孝武本紀は、司馬遷の帝への鬱屈した思いを表現しているのだと思いますが、雄略大才と謳われた武帝の他の功績についてはほとんど何も述べず、封禅をはじめとする武帝の不老長生を求める数々の(愚行としかいいようのない)事業をこれでもかこれでもかと記述していく異常な章となっております。ここで出てくる「五城十二楼」は本来、天界の崑崙山にある建物なのですが、これを地上に作ると、神仙たちが

「崑崙山に行こうと思ったけど、ここに五城十二楼があるから、ここが崑崙山でいいだよね」

と誤認して集まってくる、ということから、(もちろん方術士に騙されているわけですが)これを地上に作ったのです。

五城十二楼が本当は崑崙山にあることについては、武帝に仕えた東方朔の著という(絶対ウソですが)「十洲記」に、

・・・崑崙は崑陵山ともいい、三角(三つの中心)があるのじゃが、その一つは北極星に当たり、閬風巓(ろうふうてん)という。また一つは、真西に当たり、玄圃台という。もう一つが、真東にあって崑崙宮と呼ばれるのじゃ。この宮に、

有五城十二楼、金台玉闕、乃元気之所合、天帝治処処。

五城十二楼、金台玉闕有り、すなわち元気の合するところ、天帝の治処する処なり。

五つの城・十二の高楼と、黄金の展望台、玉で作られた門などがあるじゃよ。すなわちここは万物の根元の気が合流する空間であり、宇宙の主宰者である天帝さまが世界を治めている場所なのじゃ!

と書かれているので明らかになっている、ということになっています。

「揀」(かん)も「択」(たく)も「えらぶ」「より分ける」の意。

すばらしい場所は、どこもかしこも仙界のようなものである。(崑崙山にあるという)五城十二楼と比べても、だんだんと選択の範囲内にあるような気がしてきた。

五城十二楼と比べても、遜色ないすばらしさである、というのです。

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「酔古堂剣掃」巻十二より(この語もと呉従先の「小窗自紀」にあるようです)。「五城十二楼」ほどでなくても、いまの洞穴の方が心地よいので、会社行きたくないなあ。

 

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