令和元年6月9日(日)  目次へ  前回に戻る

おもろちゃんはドウブツ相手に音楽を聞かせどうするつもりであろうか。肝冷斎も洞穴でドウブツ、さらには虫類を相手に儒・仏・道三教を講じる日々だが、あまりにもスジが悪い。

まさか・・・と思うが、明日からまた平日らしい。まあこちらは洞穴の中でドウブツやムシなどを相手に講義をしているだけなので、あんまり何曜日でも関係ないんですが。

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今日は天下を取る方法を教えますぞ。

まずは、百里の地をご用意ください。

百里之地、可以取天下、是不虚。

百里の地にて以て天下を取るべし、これ虚ならず。

百里(60キロ四方ぐらい)の面積の土地の国があれば、そこを根拠地として天下を取ることができる。これはウソではありません。

歴史上それに成功したのは、殷とか周とかはるか古代のひとしかいないので、難しいことだと思っておられると思いますが、

其難者在人主之知之也。

其の難きは、人主のこれを知るに在り。

その困難な点は、君主がその方法を知る(かどうか)にあるのです。

だいたい、

取天下者、非負其土地而従之之謂也。道足以一人而已矣。彼其人苟一、則其土地且奚去我而適他。

天下を取るとは、その土地を負いてこれに従うの謂いに非ざるなり。道は人を一にするを以て足るのみ。彼その人苟(いや)しくも一ならば、その土地且(は)た我を去りて他に適かんや。

天下を取る、というのは、天下の土地を全部背負ってひとびとが集まってくる、ということではありません(当たり前ですけどね)。天下を取る方法は、ひとびとを一つに取りまとめるだけで済みます。もしひとびとがかりそめにも一つにまとまるなら、彼らの土地が、我々のもとを去ってどこかに行ってしまう、なんてことはないのです。

それゆえに、

百里之地、其等位爵服、足以容天下之賢士矣。其官職事業、足以容天下之能士矣。循其旧法択其善者、而明用之、足以順服好利之人矣。

百里の地は、その等位爵服、以て天下の賢士を容るるに足る。その官職事業、以て天下の能士を容るるに足る。その旧法に循(したが)いその善者を択び、而してこれを明用せば、以て好利の人を順服するに足れり。

百里(約60キロ)四方の土地があれば、その中で、爵位やそれに応じて着る服などを決めて、天下の賢者たちを集めてくることができよう。その土地での職や事業は十分にあるので、天下の仕事がよくできる人たちを集めてくることができよう。そして、これまでどおりの決まりをもとに、その今でも通用する部分を採用して(通用しないことは廃止して)それを明確な基準を示して適用するならば、利益を得ようとするひとびとも我々に服従してくれるだろう。

これでもう十分なんです。

賢士一焉、能士官焉、好利之人服焉、三者具而天下尽。

賢士は一に、能士は官し、好利の人は服す、三者具わりて天下尽くせり。

賢者がここに集まってきて、有能なやつらが役職について、利益を得ようとするひとたちが服従してくれる―――この三つが具われば、もう天下はすべて手に入れた(も同然である)。

このことを証明する「詩経」のコトバがございます。

鎬京辟廱、 鎬京(こうけい)の辟廱(へきよう)に、

自西自東、 西よりし、東よりし、

自南自北、 南よりし、北よりして、

無思不服。 思い服さざる無し。

「鎬京」は周の武王が築いた都。今の長安の近くにあったという。「辟廱」は周代の国学(国立大学)の名前。もちろんユニバーシティとかカレッジではなく、「周」という都市国家の自由民として必要な共有知識を得、おそらくともにエクスタシーに入って団結を強めるような儀式を行う男性秘密結社の若衆宿(メンズクラブ)です。

 周の都・鎬京の学校には、

 西からも東からも

 南からも北からも、

 やってきて、服従の思いを抱かない者はない。「詩経」大雅「文王有声」

と。

周が勃興したのは、まさに天下の賢能の士が集まり、あるいは利益を得ようとする人々が集まってきたからであるのですぞ!

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「荀子」巻七「王覇篇第十一」より。天下を取るのに三つのことしかしなくていい、とはありがたいなあ。こんなありがたい話なんですが、洞穴の中のムシやドウブツに教えても「ぶー」「がじがじ」「にゃんにゃん」「ピヨ」「ぶんぶん」「ぎちぎち」「うきー」と言っているばかりである(※)が・・・。

 

※の記述から、洞穴の中にいることが確認されないドウブツ又はムシは次のうちのどれでしょうか。

@ブタ Aひよこ Bサル Cぎちぎち虫 Dかじり虫 Eぶんぶん虫 Fにゃんにゃん虫 Gヘイケガニ 

 

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