令和元年6月6日(木)  目次へ  前回に戻る

ブルースでも聞きながら早く眠りたいぜ。

洞窟の中は暗いので、毎日眠いなあ。

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戦国時代のことですが、ある日、腕組みをしていた孟子おやじが何やら「むむむむ」と唸りはじめ、やがて

どっかーーーーん!!!!

と怒って、文句を言い始めた――――

仁之勝不仁也、猶水勝火。

仁の不仁に勝つや、なお水の火に勝つがごときなり。

心あるものが心ないものに勝利するのは、水が火を消すのと同じような(当然の)ことなのじゃ!

ところが、

今之為仁者、猶以一杯水救一車薪之火也。

今の仁を為す者は、なお一杯の水を以て一車の薪の火を救わんとするがごとし。

現代において、心あることをしようとする者のやっていることは、甕に一杯程度の水で、一台の荷車に積まれた薪木が燃えているのを消し止めようとするようなことなのじゃ!

消えるはずがないではないか。

ところが、

不熄則謂之水不勝火。

熄まざればすなわちこれを「水の火に勝たず」と謂う。

火が消えないのを見て、「そうか、水は火を消すことができないんだ」と言い出すのじゃ!

そして「心あるものは心ないものに勝つことができないのだなあ」と考え始めるのである。

ああ、

此又与於不仁之甚者也。

これまた不仁に与(くみ)するの甚だしき者なり。

これはまた、心ないものに味方(して心あるものを敗退させようと)することの甚だしい者と言わねばならぬ。

亦終必亡而已矣。

またついに必ず亡われんのみ。

結局はそいつも必ず滅亡してしまうことであろう。

まったく怪しからん!!!

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「孟子」告子章句上より。1500年ぐらいしてから、南宋の朱晦庵先生も、

どっかーーーん!!!!

仁之能勝不仁、必然之理也。但為之不力、則無以勝不仁、而人遂以為真不能勝。是我之所為、有以深助於不仁者也。

仁のよく不仁に勝つは、必然の理なり。ただしこれを為すに力(つと)めざれば、以て不仁に勝つ無く、而して人ついに以て真に勝つあたわずと為す。これ、我の為すところ、以て深く不仁者において助くる有るなり。

心あるものが心なきものに勝つ、というのは、理の当然である。しかし、そのことに努力しなければ、心なきものに勝つことはできない。それなのに(努力しないので負けたのに、)人々はとうとう「ホントに勝てないのだ」と考えてしまう。これでは、こちら側のやっていることが、心なき者を大いに助けてしまうことになっているのである。

「正義は勝つ」はずなのに「正義は負ける」と言いふらしていることになってしまうからじゃ。

言此人之心、亦且自怠於為仁。終必幷与其所為而亡之。

この人の心を言うに、またまさに自ら仁を為すに怠らんとすなり。ついに必ず、その為すところと幷(あわ)せてこれを亡なわん。

(そんなふうに考えてしまうようになった)そのひとのキモチを推測すると、どうも自ら、心あることをするのをなまけようとしはじめるであろう。やがてはやろうと思っていたことをできず、自分自身をも喪失してしまうことになるにちがいないぞ!

ああーーーー、怪しからん!!!!

と怒っています。

誰か二人に

「一対一のタイマンなら、不覚など取るはずはないわれらでござるが、一杯の水と一車の薪木の火と同じように、仁者に対して不仁者が多いのです、これは敵いませんから早く撤退しましょう」

と教えてあげてください。おいらはもう撤退して安全な洞穴の中にいますよ。

 

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