令和元年5月12日(日)  目次へ  前回に戻る

これは「杜甫逢李亀年図」だ。誰からも認められずに消えていくとはいえ、ゲンダイ人が忘れてしまった素朴な感情が描かれた貴重な文化遺産といえよう。

日曜日の夕刻、暮れなずむころには、月曜日からの平日への不安と恐怖に耐えきれず、ささくれだった心に戻った肝冷斎一族が、地下に潜っていくのだ。天上に昇るものもそのうち出るかも知れません。

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清の康熙年間(1662〜1722)のこと、浙江・嘉興府の王店鎮という集落の端っこに関帝廟があって、老いてどこにも行くあての無くなった僧が一人、堂守として住み込んでいた。

ある晩、たいへんな雨と風になったが、その翌朝、この僧がお香を捧げようとしてお堂の中に入ったところ、

見小蛇、長尺許、蟠伏神座前、駆之不去、諦視之、首有二角。

小蛇の長さ尺ばかりなるが、神座の前に蟠伏し、これを駆るも去らず、これを諦視するに、首に二角有り。

長さ30センチぐらいの小さなヘビが、関帝さまのお座りになられる座の前にとぐろを巻いているのが見えた。

「こら、しっしっ」

と追い出そうとしたのが、ヘビは動かない。

「しようがないなあ」

と諦めてよくよく見たところ、このヘビ、頭に二本の角が生えていたのだ。

「なんと!」

僧知其異、以果餅飼之、輒食、葷腥則不食也。

僧その異なるを知り、果・餅を以てこれを飼うに、すなわち食らうも、葷腥はすなわち食らわざるなり。

老僧はこのヘビが不思議なものらしいと知って、それから果物やパン類を与えて飼ってみた。そういうエサは食うのだが、臭いの強い野菜と生肉は(まるで僧侶が戒律を守っているかのように)食べないのであった。

さてこの年の夏の夜、ある地元民が近くの川に何やら細長いものが突っ込まれているのを見た。

(なんだろう)

と目を瞠っていると、しばらくしてそれが月の光の下で動きはじめ、やがて、ぐいん、と鎌首をもたげたのである。

(うひゃあ)

それは

約長十余丈。居人逐之、則帰廟中。

約長さ十余丈なり。居人これを逐うに、すなわち廟中に帰す。

長さがほぼ50メートルぐらいもあった。地元民がその行方を追いかけてみたところ、関帝廟の中に入って行った・・・。

次の日、

「確かにこのお堂の中に入って行ったんじゃ」

とその地元民は騒ぐのだが、老僧は

「御承知のとおりお堂には小さなヘビが一匹おるが、そんな大きなヘビのようなものがこのお堂に入り切るはずがないじゃろう」

と取り合わない。

「いや、絶対入っていったんじゃ」

と言いながらそのひとが引き上げて行ったあと、老僧は、小さなヘビと目を合わせて、

「おまえ、気づいたか?」

と訊いてみたが、ヘビは理解しているのかしないでか、細い舌をちろちろと出したり引っ込めたりするばかりであった。

その後も、この巨大なヘビらしきものは何度か見かけられたが、特に害をなすわけでもなく、ひとびとは何かの見間違いだろうと考えて、あまり気にしなくなった。

・・・二年後、老僧は亡くなった。

村人たちは簡単に葬ってやったが、それ以後、お堂は無住になった。

そんなある日、

有估舶過此、舟人見有小蛇蟠伏舵上。駆之又来、如是者数次、舟人遂載以行。

估舶のここを過ぎる有るに、舟人小蛇の舵上に蟠伏するを見る。これを駆れどもまた来たり、かくのごときもの数次、舟人遂に載せて以て行く。

商人の船がこのあたりを通りかかったのだが、その舟の船乗りが、船尾の舵の上にとぐろを巻いている小さなヘビを見つけた。

「こら、しっしっ」

と船乗りが追い払おうとしたが、すぐに同じところに戻ってくる。何度か繰り返しているうちに船乗りももう諦めてしまい、ヘビを載せたまま出発した。

その舟が、

行至双板橋、忽天黒作雷雨、急泊舟、俄見一龍自船尾上昇、水随之湧、而估舶竟無恙。

行きて双板橋に至るや、忽ち天黒く雷雨を作し、急ぎ舟を泊するに、俄かに一龍の船尾より上昇するを見たり。水これに随いて湧き、而して估舶ついに恙なし。

「二枚橋」のところまで来たとき、突然空が黒くなり、雷雨が襲ってきた。急遽舟を付近に舫うと、しばらくして、一匹の龍が船尾から天に昇っていくのが見られたのである。川の水が龍につられて沸き上がり、大荒れになった。しかし、商人の船にはとうとう何の被害もなかった。

不思議なことだが、それ以降、

廟中小蛇不復見矣。

廟中の小蛇、また見えざるなり。

お堂の中に、小さなヘビを見かけることは無くなった。

そして、夜に川で水を飲む巨大なヘビのようなもの、も見られることはなくなったのである。

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「履園叢話」十四より。群馬のスネークセンターに行っていろいろ観察してきたんですが、ヘビはかわいいです。ファンが多いのもうなずける。ガラス越しでも手を振ってやったりするとこちらを認識して、頭を振ったり舌を出したりしてくるんです。ニンゲン社会ではほとんど存在を認識されていないようなおれでも、ヘビたちは認識してくれるのだ。うれしい。

今回も、平日への恐怖から地下に潜った肝冷斎一族の中には、群馬県にヘビを観に行ったものもいるのではなかろうか。みんな自分を認めてくれる者のいないのに苦しんでいるからなあ。

にょろーん。こいつなんか頭をガラス窗にごんごんぶつけておいらに挨拶してくれたんだぜ。

 

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