令和元年5月11日(土)  目次へ  前回に戻る

最近発見された古拙愛すべきおもむきのある「李白宴席図」だ。それにしても何を食っているのか。巨大カレーライスか。

土曜日である。あちこちに散らばっていた肝冷斎一族の者たちも、三々五々都内に戻ってきて蠢いているようだ。また明日の夜あたりには姿を消すであろうが・・・。

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清の中ごろのことです。湖南・桃源出身の羅仙塢先生は、一時期役所務めをしていて、ある小さな県の県令となった。

任期が満ちて都に上って報告を済ませたところ、吏部中丞であった秦芝軒というひとが言った。

爾守県、好処我不深知、醜処亦未聞。固不見所長、却不見所短。似不応久屈在下邑。

爾の県に守たるや、好処は我深知せず、醜処もまたいまだ聞かず。もとより長ずるところを見ざるも、却って短なるところも見ず。久しく下邑に屈在するべからざるがごとし。

―――貴君の県令としての活動について、評価すべき治績はあまり上がってきていない一方で、批判すべきところも報告はされていない。どうにも美点が見つからない一方で、欠点も無い。・・・どうも長く小さな県に引っ込んでいさせるべき人材ではなさそうだな。

そう言って、にやりと笑った。清代の役人の考課は、原則この「好・醜、長・短」で行われていました。機械的にはどちらも「中」程度の成績だったようですが、それこそ実は有能な証拠だ、というように高評価されたようなのです。

羅先生はそう言われて、申し上げた。

且不必論長短好醜、只以国士遇我、我不敢当。若以衆人待我、我亦不受。

しばらく必ずしも長短・好醜を論ぜず、ただ国士を以て我を遇せば、我あえて当たらざらん。もし衆人を以て我を待たば、我また受けず。

―――評価するとか批判するとか、美点があるとか欠点があるとか、そんな議論はしばらく横に置いて、わたくしを国家有用の人物であるとお考えいただけるならば、わたしはおそらくそれほどの人物ではございません。一方で、どこにでもいるような人間だと扱われるなら、わたしはもうシゴトはいたしません。

秦中丞は茫然として、

―――はあ。そうなのか・・・。

と言ったきりであった。

先生は、

即日稟辞去。

即日、辞を稟けて去れり。

その日のうちに、退職の辞令だけもらって帰郷してしまった。

羅先生はその後、郷里で後進の指導に当たってきたが、最近ではよくその話をして、

「若気の至りじゃなあ」

と笑うのが常であるそうだ。

ところでこの県令をしていたとき、こんな事件があったそうだ。

有婦人以夫久出不帰、求判改嫁。

婦人の夫の久しく出でて帰らざるを以て、改嫁を判ずるを求むる有り。

ある女性から、「夫が出かけたまま長らく帰って来ないので(生活が立ち行かない。夫の判断のもらいようがないので、役所の方から)、離婚して他人と再婚することを認めていただきたい」という要望があった。

「別に喧嘩別れしたいというわけではないのじゃな」

「生活のためでございます」

「なるほど」

先生が申請書に下した硃票(しゅひょう。朱書きで役所の判断を書き込んだ公文書)は次のとおりである。

焉有為爾父母官而忍聴爾改嫁耶。計爾母女二口、升米可活。

いずくんぞ爾の父母官為(た)りて、爾の改嫁を聴(ゆる)すに忍ぶ有らんや。爾母女二口を計りて、升米活すべし。

―――県令は地方民の父母と同じである。おまえの父母たるべき役職にありながら、おまえに生活のために離婚・再婚させるようなツラいことをさせられようか。おまえたち母子二人分の食糧を計算し、一日一升の米によって生活させることとする。

令此婦於毎月朔執票、支倉米三斗。

この婦に令して毎月朔に票を執らしめ、倉米三斗を支す。

この女が毎月一日、この文書を持ってくれば、役所の倉庫から米三斗(30升)を支給することとしたのである。

後、

一日夫回、偕婦来叩謝。

一日、夫回り、婦とともに来たりて叩謝す。

ある日、夫が帰ってきて、妻と一緒に役所に来て、頭を地面につけて感謝した。

「妻子を置いてどこに行っておったのか!」

先生欲杖之、婦代乞免。先生曰、為善必終、仍令支一月糧去、而収回硃票。

先生これを杖せんと欲するに、婦代わりて免を乞う。先生曰く、「善を為すにも必ず終わりあり」と。仍りて一月の糧を支し去らしめ、硃票を収回す。

先生は夫を杖で叩いて罰しようとしたが、婦人が代わって謝罪するので免除してやった。一方で、「役所の方の善意にも終結があるぞ」と言って、最後に一か月分を支給した上で、(毎月支給するとした)朱書きの文書を返納させたのであった。

郷里の後輩たちはこの話を聞いて、

此事可謂仁至義尽。

この事、仁至り義尽くと謂うべし。

―――このご判断は、人情も尽くしているし、義理も果たした、というべきではありませんか!

と称賛するのであるが、

―――さて、しかし、今ならどう対応するかなあ。

と先生はやはり笑っておられるのだそうである。

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「楡巣雑識」下巻より。意外と清代の県令と人民の距離が近い感じがしますね。「下邑」(小さな県)だからであろうか。

読者にお役人の方がおられたら、せっかくですからよく読んで「仁至り、義尽きる」とはどういうことか、思いをめぐらせていただきたいところである。・・・でも世の中そんなに単純なはずないからゲンダイ的には何の役にも立たないと思います。まあ休みの日のお慰み程度に読んでいただければいいや。というかどうでもいいや。

 

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